私の姉は空港で働いているのですが、そこで問題になっているのが、カワウソのような動物の違法輸送です。スーツケースのようなもので運び込まれた動物たちは、ほぼ死んでしまっているようです。「動物の権利」は、やはり国によって認識の相違があるのでしょうか。

心が痛いですね。動物や植物の権利については、近年ではピーター・シンガーが、理論的にも実践的にも大きな流れを作っています。「どのように考えるか」が重要な曖昧な部分については、もちろん各国、各地域、各階層、そして個々人によって大きな相違があるでしょう。制度的には、質問に直接関わる国際貿易については、1973年に承認され1975年に発効した、通称「ワシントン条約」があります。批准した182ヵ国=すなわち輸出国/輸入国の協力によって、絶滅危惧種の国際的取引を禁止・規制することにより、各国の自主性に任せつつ、乱獲を抑止しようとしたものです。「自主性」の部分については、あくまでこの条約がいわゆる先進国の意向で決められたため、当時の発展途上国内部の事情、例えば食習慣や希少情況などにも配慮したものでした。ただし、そうした理由もあって「何を希少種とするか」にはブレがあり、問題のひとつになっています。近年では、生物多様性を保証する生息地内外の保全を義務づけ、持続可能を実現する「生物多様性条約」が、1993年に発効しています。日本でもこれに基づいて国家戦略が定められ、「河川法」や「農業基本法」などのうちに盛り込まれています。しかし、日本の場合はどうも持続可能性の経済的側面、簡単にいってしまえば「生かさぬように殺さぬように」搾取する方面へ意識が強く、また生態系保全についても外来生物への過度な排除傾向がみられます。後者はすでに井上太一さんらも指摘していますが、日本社会の排外性の強さとも関わりがあるように思います。