ナショナル・ヒストリーは国家を正当化するためのもの、とのことだが、その正当化は誰に向けられているのか。国家は事実存在しているのに。

国家が厳然として存在し、正当化する必要がないと感じるのは、まさに国家によって「自国を正当なものとして認識する」教育が達成されているためです。なぜなら、ぼくらの世代はつぶさにその状況をみてきましたが、国民国家が統治の正当性を失って崩壊してゆくことは、歴史上何度も繰り返されているからです。ソ連しかり、東欧諸国しかり。この世界には、近代以降に国民国家として再編成され、以来ずっと存続している国もあれば、第二次世界大戦後に新しく独立した国々もあります。逆にいえば、いま存在する国家が、いつ正当性を失って崩壊してもおかしくはないのです。授業でお話ししているとおり、日本の場合にも、例えば明治維新は、近世の幕藩制国家が正当性を失い、近代国民国家として再構成された出来事です。しかし、列島内には明治政府のあり方に意義を唱える政治集団は、いくらでも存在したわけです。それゆえに彼らは、自分たちを正当なものとして位置づける物語り=歴史を必要としたのです。現状を正当化するために直前の過去を否定し、それよりさらに以前の過去を持ち出すなど、歴史を利用することは国家正当化の常套手段です。