授業内ではあまり触れられていませんでしたが、別の授業で「支那」を外国からみた中国と学んだので、支那史学が中国史学ではなく東洋史学に改称されたことに疑問を持ちました。

支那」は、例えば『日本国語大辞典』では、「秦」の国名が西方に伝わって西域語化したものが、再び東方へ入って漢字により音訳されたものとされています。日本では古来、王朝名で呼ぶか、唐以降は概ね「唐」字をもって中国を表象することが行われました。また仏教系の用語では、「震旦」「振旦」が用いられています(「震」は支那、「旦」はペルシア語のスターンを指すとの説もあります)。「中国」という語は、実は中華と同じ意味で、世界の中心、文明の中心を含意してしまうので、使用されなかった節もあります。近代史学の成立に際し、西洋史国史が成立した後、漢学の伝統を受けて「中国史」ではなく「支那史」が成立したわけですが、中国以外の東洋諸国も研究の対象とする必要性があったので、さらに「東洋史」という名称変更がなされたのです。