ランケの〈神〉が日本の〈天皇〉に置き換えられたとき、「神の真理に近づきたい」というようなランケの動機とは、異なる部分が大きかったように思うのですが?

ランケにおける〈神〉とは客観性の基準となるもので、いわば事実や実証の象徴だったのではないかと思います。ランケ自身が前近代的なものから完全に自由になっていたなかったことは確かですが、それはまた中世的な神のイメージとも異なるものだったでしょう。近代の皇国史観の淵源をなす水戸『大日本史』などの史観は、アマテラスの神命を受けたニニギが地上へ降臨し、その子孫が代々皇位に即き政治を行うことで、時代が展開してゆくというものです。ランケが実証主義において無意識に敷いた神のイメージ、人間の営為をその外側から規定する力の表象は、このような「高天の原という外部からやって来て列島の歴史を規定した」神の発想と、響き合うところがあったのかもしれません。今後授業で扱ってゆきますが、事実この、アマテラスがニニギに命じた「神勅」が、近代日本における不可侵の〈国体〉に据えられてゆくのです。