近世の和人による北海道侵蝕と、それへの抵抗の戦いについて。なぜ和人かそうでないかということが、お互いを理解し尊敬することに対してこれほどまでに大きい障害になったのでしょうか。

大切な問題ですね。中国王朝に主催されていた東アジア世界には、まず前提として、文明/野蛮の差別構造があります(この点は、ヨーロッパも同じです)。松前藩士や和人商人らの意識の根底に、アイヌをそうした観点から卑賤視するベクトルがあったことは否定できません。華夷秩序においては、中華の盟主=皇帝は、未開の地を従属させ文化を行き渡らせてゆく使命があります。古代以降、中国の周縁諸国は、これに表面的に従属しつつも内的には反抗心、独立心を涵養してゆきますが、しかし自己の領域支配のために同様の秩序を内面化してゆきます。日本では、ヤマト王権が東北の蝦夷や南西の隼人を差別化し、武士が勃興してくると、公卿/武士間の職能・階級差別へ展開する。そして武士の間でも、種々の差別が生じてゆきます。松前は、実は西日本の諸大名から、「蝦夷大名」という卑下を受けていました。すなわち松前アイヌの差別の背景には、中国皇帝→東夷の国日本(倭)→天皇・公卿→将軍・武士・中央→辺境・松前といった、遠大な差別・卑下の連鎖が存在するのです。こうした抑圧は、時間軸と空間軸を、力の弱い者へ、弱い方へと作用してゆきます。現在もわれわれのなかに確実に働いている力の構図ですが、自分が受けた抑圧をさらに他者へ加えてゆくのか、それとも連帯を生じてそこで抗い、断ち切る努力ができるのか。われわれに求められていることだと思います。