辺民に下賜された絹織物は、どれくらい価値のあるものだったのでしょうか。

清王朝が黒貂の毛皮に対して下賜した錦がどの程度だったのかは不明ですが、アムール川流域で行われた山丹交易全般においていうならば、辺民たちはかなり高価な錦織物を手に入れていました。その様子は、間宮林蔵『東韃地方紀行』の記録した、満族商人と辺民との交渉によっても明らかです。「其交易の態、諸夷種々の獣皮を腋下に挟み交易所に至り、吾欲する処の物、酒・煙草・布帛・鋳物の類、思さま〴〵に易来りて、後余す処の皮ある時は其価を貪りて妄に交易せず。満州夷亦是を取んと欲して色々の品物を出し示し、猶交易せざるは時は己が著服を脱して交易するに至る」とは、明らかに辺民のほうが優位に立っています。このようにして入手された高級絹織物はアイヌのもとに至り、松前藩から本州諸藩にまで評判となって、「蝦夷錦」として珍重されました。下の記事には、ハバロフスク地方博物館に所蔵されている、アイヌから発したクイサリ一族に伝わった蝦夷錦が載せられています。その豪華さを確認してみてください。

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