バイト先の塾の障がいのある子は、警察官になりたいのですが、特別支援学級に入ったらなれないので、母親が諦めさせようと苦心しているそうです。電車の運転手や警察官など、責任の重い職業に障がい者が就くことができないのは、「合理的な配慮」なのでしょうか。

非常に難しい問題ですね。就職をめぐるバリアフリーをどこまで進められるか、それは社会を構成している私たちひとりひとりの思考、行動にかかっていると思います。「警察官やパイロット、電車やバスの運転手など、ある程度の運動能力と思考力をもって、他人の生命を預かるような職業には、障がいを持った人間が就けないのは当たり前だ。何か間違いがあって、本人がその障がいのために極めて思い負債を背負うことになったら、それこそお互いに不幸になるじゃないか」……そう考える人もあるでしょう。あるいは逆に、そういう考えが「合理的」だと思ってしまうように、社会や職業のあり方が構築されているのだから、その根本を変えてゆくことこそがバリアフリーだ、と考えることもできると思います。ぼくはどちらかというと、後者です。現実社会においては、障がいのあるなしにかかわらず、誰もが希望の職業に就けるわけではありません。知識や能力があるのに、別の理由で排除されてしまうひともいれば、必要な条件を満たすことができずに諦めるひともいるでしょう。しかし、希望の職業を目指してよいという可能性は、万人に開かれているべきです。そのためには、法律や制度を変える、職業の概念を変える、社会の仕組みを変える、新たな職種を創り出す、障がいを持つひとをサポートする器具・機械を開発する……まだまだいろいろなことができるだろうと思います。なかなか充分な状態には至らないでしょうが、〈開放〉へ向けての意識をみなが持ち続けることこそ、大切なのではないでしょうか。