先住民の女性たちが白人交易者の妻になり、主体的な役割を果たしたとのことですが、なぜ彼女たちは乱獲を助けるようなことをしたのでしょうか。

まず、〈コモンズの悲劇〉という現象を勘案しなければなりません。ある自然環境を共同体が共有していたために、誰もが他の人間に取られる前にと資源を利用し、保全や保護を省みなかったために、環境自体が破壊されていってしまうというジレンマです。一般に民族社会の人々には、その部族や共同体で環境を利用する際、長年培われてきた経験的知識によって、根本的破壊に至らぬよう利用を規制する仕組みを持っています。しかしそれは、多くの場合、自分たちの生活領域を超えた広がりを持ってはいません。よって、ヨーロッパとの邂逅により、自分たちの日常生活品に新たな価値が付与され、眼にみえる見返りの品々が供与され、それが自分たちでさえ充分に知らないような大陸の奥地へ拡大されてゆくとき、綻びや歪みが生じてくるのは無理のないことだったと思います。参考文献に挙げた下山晃氏『毛皮と皮革の文明史—世界フロンティアと掠奪のシステム—』(ミネルヴァ書房、2005年)では、後年になってバイソンの虐殺を嘆いた先住民の老人が、「あれだけの数の白人がバイソンを虐殺して金銭を得てゆくのをみて、若い頃の私たちは、自分が間違っているのではないか、彼らのように行動すべきではないかと悩んだものだ」と語った事例が紹介されています。先住民の女性たちは、全般的に貧困のうちにあり、女性の職務を強制される生活のなかで、交易者の妻になることで生活の改善を図る選択肢を、主体的に選び取ってゆきました。それゆえに、先住民社会に背を向け白人の夫を支援する女性たちも、多く存在したわけです。彼女たちにとって、自分の罠猟や交渉技術が高く評価され、豊かな見返りや待遇の改善が見込める応益者の妻は、極めて魅力的な地位であったに違いないのです。