江戸時代、伊勢神宮に参拝していた人々は、アマテラスを信仰していたと考えていいのでしょうか。 / 近世以前、日本は多神教という概念はなく、一神教の人が多かったのではないでしょうか。。 / 

近世以前において、基本的に列島社会の信仰のあり方は、当たり前のことながら多神教的です(逆になぜ、「一神教が多い」と思ったのでしょうか?)。授業でもお話ししたように、神仏習合が一般的な状態でしたので、種々の神社仏閣に、たくさんの多様な神仏が安置され、祭祀されていました。そのほか、都市や村落の辻々には小さな社や祠があって人々の信仰を集め、規模の大小こそあれ、家々にも仏壇と神棚、それに類する礼拝の場がありました。もちろん、人々は○○寺の檀家、○○神社の氏子として一定の宗教施設に所属していましたが、それぞれが個々の信仰の多様性を厳しく規制することはありませんでした。都市や村落の年中行事には、現在では考えられないほどたくさんの神事、仏事、信仰に属する習俗が存在し、人々は1年をほぼ神霊とともに過ごしていたといってもよいほどだったのです。時代的な変遷はありますが、そこには、森羅万象に神霊の働きを認めるアニミズム的感覚が強く息づいており、現代でも社会調査を行うと、自然現象に神性を感じる人の割合が、列島ではその他の国々に比べて圧倒的に高い数値が出るようです。その痕跡は現代にも受け継がれており、人々は氏子でも檀家でもない多様な寺社に参拝し、正月は初詣に寺社へ行き、お彼岸やお盆には里帰りして墓参りを行い、個々の信仰に応じて、多様な宗教で結婚式や葬式を上げ、子供の通過儀礼も行います。このなかには、「宗教行為」との自覚なく行われているものもあるでしょう。キリスト教的価値観、ヨーロッパ的宗教観からすると、「無節操」であり「無宗教」ということになるかもしれませんが、これは列島に特徴的な「宗教」の形なのです。なお、近世の伊勢参詣では、もちろんアマテラスが信仰されていました。「太神宮様」などと呼ばれ、お札などを神棚に上げている家々も多くありました。しかし、固有の神格を参拝していることとその神格を「最高神」と意識しているかどうかは、まったく別の話です。古代国家はアマテラスを神統譜の上位に位置づけますが、列島社会全般ではより多様で複雑な神霊世界が展開していたのであり、国家はそれを表面上統一していたに過ぎません。中世以降の百花繚乱状態はその具現化で、近世に国学が出現したのちも、社会一般では多様性、多層性の豊かな宗教情況が継続していたのです。