全国樺太連盟所蔵の手書きの地図は、引き上げてきた元の住民の方々が集まって作ったものだと聞きました。人の記憶なので誤っていることもあると思うのですが、どこまで信憑性のあるものとして使えるのでしょう。

上記手書き地図は、純粋に記憶のみからできているわけではありません。当時の町並の写真や映像、絵画、記録などは多少は残っていますし、当時の行政文書や統計文書もあります。それらをできるだけ収集し、住民の方々の複数の記憶を繋ぎ合わせて作られたもので、地域によって精度に差異はありますが、概ね信用してよいものと思います。地理学や社会学の方法にメンタル・マップがありますが、人間の空間把握は機械による測量とは異なるもので、それが逆に心性史、思想史の史料として有意に使用できるのです。ぼくが知りたい養狐場の位置は非常に大雑把なものであり、また多くの地図が中・大規模の養狐場の位置を川縁、山際に求めていることは、彼らの養狐場に対する心理的位置づけを意味しており、「事実」以上に重要なものと思われます。