養狐の開始が、なぜロシアから獲得した樺太だったのか。樺太の産業育成のためですか。

樺太の産業育成、というのはもちろん理由のひとつでしょう。しかし単純に、プリンス・エドワード島と類似の環境を日本の領土内に探したとき、樺太や千島が浮かび上がってきたものと思います。当初、1909(明治42)年に木谷秀五郎がキツネ飼育を試みた豊原=ユジノサハリンスクは、プリンス・エドワード島とほぼ同緯度の北緯46度に位置します。6年後、渡瀬庄三郎が本格的な飼育に成功した小沼も、豊原のやや北側であまり遠く隔たってはいません。とにかくまずは養殖しやすい環境を探す、そのためにはカナダやアラスカの先行地域と可能な限り類似の場所を確保する、ということが大命題だったのでしょう。