なぜ日本は昔、「瑞穂の国」と呼ばれていたのですか。

「豊葦原瑞穂国」とは、豊かな葦原の生い茂る、瑞々しい稲穂の稔る国、という意味です。弥生時代以来、列島社会における権力の伸張は、灌漑稲作の展開とともにありました。これから行われる、天皇の即位祭儀としての大嘗祭も、稲作を前提として成立しています(元来は、共同体の首長に対し、一年で最初に得られた初穂を献上する祭儀であったものが、幾つかの要素を加えて整備されたと考えられています)。また、古代国家以降江戸幕府に至るまで、国家に収める税の基本は稲米であり、これを換算の単位として経済が運営されていたわけです。「瑞穂の国」にはそうした歴史の始まりが恐縮されていますが、近代帝国主義にはその点に関連し、寒冷地でも多肥料により高収穫を実現する品種として「陸羽132号」が開発されました。これは当時「稲の大和民族」とも呼ばれ、寒冷地である朝鮮や満州の生態系を列島的に改造するため、それら植民地で生産した稲米を軍に供給すべく輸出されたのです。