美濃部達吉の天皇機関説が、大正デモクラシー期に至るまで日本法曹界の通説であったということは、とても驚きました。なぜ、これほどまで天皇が神格化されていた時代に、機関説が認められていたのでしょうか?

天皇機関説は、国家を法人とみて、天皇はそれを運営する機関=オルガンであると位置づけるものです。天皇大権を認めた大日本帝国憲法自体が、その権能を規定している点で立憲主義に則っており、支配の正当性には神話を置きながらも、その神聖性を無制限な権力とは認めていませんでした。また、国家法人説は、日本が政体のモデルとしたドイツ型立憲君主制の通説で、それを踏まえ洗練した天皇機関説は、法曹界では無理のない考え方だったのです。昭和天皇自身がこの考え方を支持しており、貴族院で始まった美濃部達吉の排撃に早くから不快感を示しているほか、侍従武官長との会話においては、大日本帝国憲法第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」を機関説と解釈する考えを明言しています。また、国際外交上他国に専制体制と思われるのは適切ではなく、その点でも機関説に価値を認める発言をしています。