上部構造/下部構造の関係は妥当と考えるが、一方で、文章経国思想が支配した古代・中世では、一般民衆に生活の様子を記録するリテラシー能力がなく、権力者が責任をもって記録してきたので、上部構造に目を向けるべきなのではないか。
「下部構造が上部構造を規定する」というテーゼは、例えば社会や文化のありようを価値判断して、政治と経済とどちらが重要なのかと考えることではありません。例えば、文章経国思想の支配により民衆の歴史が紡がれたとして、そうした立場を支配層、貴族、官僚たちに与えたのは、彼らに漢籍的知識の得られる生活・教育環境、文化的・社会的ポジションを形成した社会構造、経済構造にあるわけです。よって、上記のテーゼは揺るぎません。なお、歴史叙述が文字のみによってなされると考えるのが、すでに中華思想的、あるいは近代歴史学的なものの見方です。いくらかの修正は必要なものの、すでに柳田國男は、20世紀初に文字の歴史の支配者帰属性、階層的限定性と偏重を批判し、口頭で伝えられてきたナラティヴに基づく民俗学を生み出しました。現在のわれわれの世界においても、文字で記録される以上のオーラル・ナラティヴが日々生産され、世界を動かしています。支配層の価値観とは異なる、民衆なりの歴史観、歴史実践が存在したとみるべきで、それを想定した歴史研究を行わなければなりません。