「上部構造は下部構造に規定される」というテーゼが本当なら、上部構造である私たちの思考が、下部構造に及ぶということは原理的に可能なのでしょうか。

うん、これは鋭い質問です。われわれが下部構造について語ることができるのは、マルクス主義的にいえば、イデオロギー批判を通じて社会の実相を捉えることができているためです。社会構造・経済構造、あるいは人間の認識の構造そのものによって、人間が考えることのできる範囲自体が決められてしまっている、あるいは見たり聞いたりすること、気付くことのできる対象も決まってしまっているというのが、マルクス以降、構造主義などを経て現在に至る社会科学のものの見方です。しかし、何らかの契機によって「規制されている状態」から切断されると、その考えられる範囲は拡大し、われわれは社会の実態へ近づいてゆくことができる(規制がなくなるわけではなく、あくまでその状態に気付けるようになる、ということです)。科学の大系のなかでこのようなことが起こり、科学の基礎を為す認識のあり方が社会一般で転回することを、パラダイム・シフトなどといいます。