理論を学ぶということは、論理学を勉強するということなのでしょうか?

必ずしもそうではありません。史料の読解を通じてある歴史像を組み上げようとするとき、あなたならどうするでしょうか。いくらたくさんの史料を読んだとしても、そこから社会の仕組み、その時代ごとの相違などを、復元することができますか? たいていの人にはできません。なぜなら、それを直接書いてある史料はほとんど存在しないからです。例えば、古代律令国家の国家体制については、律令を読めば分かります。それは、史料に明確に書いてあります。しかし、当時の社会構造がどのようであったか、古代国家を支える経済構造がどのようであったかは、いくら制度面を確認しても書かれていないわけです。ゆえに、史料から浮かび上がってくる情報を、何らかの枠組みに当てはめたうえで、修正を加えて構築してゆかねばなりません。社会をどういう形で、どういう仕組みを持つものとして描けばよいのか。「構造」として描く、ということ自体も、史料だけからでは浮かび上がってきません。戦後歴史学の日本古代史研究では、それこそマルクスエンゲルス、彼らの依拠したモルガンなどを参照しつつ、考古資料や民族資料によって組み上げられた理論的枠組みを援用して、社会や経済、国家のありようを描いてきたわけです。しかしもはやそれらは、依拠したデータにしても考え方にしても、そのままでは使用することのできないほど「古く」なってしまいました。よって、社会のありよう、文化のありよう、国家のありようなどについて、文化人類学社会学、経済学などの知見を学び、それらの理論を検証し、歴史資料との整合性を確認して用いてゆく、あるいは修正して新たな枠組みを構築してゆく、そうしたことが行われなければ学問としては成り立たないのです。史料読解の仕方、文字の認識の仕方、方法論全般についても、同様のことがいえます。「歴史学はいつも他の学問から搾取するばかりだ」とは、隣接諸科学からの批判ですが、歴史学からも、他の学問で援用しうる理論を生み出してゆかねばなりません。