「和を以て貴しとなす」の〈和〉が日本人のアイデンティティーかどうかは分かりませんが、武士政権の多さはこれを否定するものではないと思います。「和」は「武」の対義語というより、チームワークを意味するところが大きいと思うし、江戸幕府は江戸幕府はどちらかといえば官僚寄りではないでしょうか。

重要な指摘ですね。これには少し説明が必要かもしれません。まず、確かに〈和〉と〈武〉は対義語の関係にはありません。東アジアの歴史的文脈においては、〈武〉の対義語は〈文〉です。と同時に、常に、〈武〉よりも〈文〉のほうが価値の高いものと考えられています。歴代王朝の王帝たちの諡号についても、〈文〉が最も尊ばれ〈武〉はその次に置かれます。すなわち、武力で天下を統一した王帝より、徳によって天下を教化した王帝のほうが優れているとみなされたのです。王朝の支配機構においても、武官より文官のほうが位が高く、重要視されています。ところで問題の〈和〉、あるいは「和を貴となす」という言葉・概念は、のちに詳しく扱うように『礼記』や『論語』にみえるもの、すなわち儒教において重んじられた徳目であり、これは〈文〉のカテゴリーに属します。ゆえに、〈和〉と〈武〉は対立項に置かれることになるのです。近世、朱子学を奉じて、ある意味では中国以上の儒教国家を実現した朝鮮王朝は、豊臣政権から2度にわたる侵略を受けましたが、日本の武人政権を野蛮な夷狄と蔑んでいました。徳川政権から朝鮮通信使派遣の提案を受けた際には、重臣たちが当たり前のように反対するなか、「現在、日本は武の国であるが、中国が胡族王朝によって侵略され唯一中華を体現する国となった朝鮮が、日本を文の国に転換しなければならない。そうすれば、日本も自らの非を覚り攻め寄せてくることはなかろう」との意見も出されました。東アジア世界の儒教的伝統においては、日本は「和を貴し」とはしない国とみられていたと思われます。