東アジアの国際秩序としては、島国である日本は中国・朝鮮半島の下に位置していたと学習したのですが、なぜ日本は朝鮮に対して好戦的な態度を取っていたのですか?
いま問題としている7世紀までの段階では、まずは鉄資源を得るためという大きな目的がありました。古墳時代の倭国では、当時鉄素材を自ら生産することはできず、朝鮮半島の南部から交易を通じて獲得していたのです。よって、それらを調達できる豪族たちが権力を増し、彼らは半島から得たものを威信財として自己のグループへ分配、求心力を高めていたわけです。やがてヤマト王権の勢力が屹立してくると、彼らは半島との外交・交易を独占してゆき、過日世界遺産に登録された大阪の巨大陵墓群からは、多く副葬品として半島南部の鉄鋌(鉄素材)が見出されます。王権はこれを加工して武具や馬具などを生産し、例えば細長い鉄の板を貼り合わせた甲冑を、連盟した豪族たちへと配布して勢力を拡大してゆきました。この問題を軸に、ヤマト王権は、次第に朝鮮半島に進出して拠点を築き、利権を確保するために戦闘行為に及ぶこととなります。しかし、6世紀になると、武力に依拠した挑戦経営はうまくゆかなくなり、同盟国となった百済を通じ中国的文物を採り入れ、武の国から文の国へと転換を図ってゆくことになるのです。