禹は防風神を再生させたにもかかわらず、その子孫が貫胸人となっているのは、罪は許されていない、子孫にも引き継がれるということなのでしょうか?

ああ、その観点はありませんでした。恐らく、そういうことになると思います。どこかで言及しましたが、『易経』には「積善の家には余慶あり、不積善の家には余殃あり」との一文があって、儒教の家の論理を体現するものとしてよく引用されます。仏教の因果応報が基本的には個人の問題、自己責任の問題であることに比べると、祖先崇拝を基礎とする漢民族の論理が際立ちます。『孝経』には、現在の自分の身体は始祖たちからの預かりものであり、それゆえに傷つけることなく子孫へ渡さなければならない、との記述もみられます。儒教における身体とは、歴史の受肉したものであり、始祖たち=過去と子孫たち=未来を繋ぐメディアなのです。それゆえに、われわれは始祖の力を身に宿すと同時に、その罪や害悪も引き受けねばならない。防風神と貫胸人の表象にも、そのことが端的に表れているのでしょう。