海外では、復讐譚の名作として『モンテクリスト伯』や『オリエント急行殺人事件』がありますが、日本では復讐より大切なものが出てきて、結局復讐は達成されずに終わるパターンが多い気がします。 / 仏教では復讐は肯定されないのでしょうか。復讐者自身を主人公にした説話などはありますか?

仏教説話については、確かにそういうパターンが多いかもしれませんね。仏教ではそもそも、復讐はまやかしの現実に束縛されている煩悩=執着に過ぎず、それに振り回されている限りは悪業をなす、もしくは悪業を振りまく結果にしかならないので、仏教的には必ず否定されなければならないわけです。しかし、家や宗族の論理、御恩と奉公の人的結びつきが強い中世、儒教的束縛の強固になってゆく近世においては、忠や孝、義などの価値観から、親や主君に対する仇討ち譚が喜ばれました。史実をモデルとしながら、曾我兄弟、荒木又衛門、赤穂浪士、関連して堀部安兵衛など、枚挙に暇がないくらいの復讐譚が存在します。上智大学との関連でいえば、まさに『東海道四谷怪談』などは、本当に徹底した復讐譚であろうと思います。列島の信仰社会が、必ずしも仏教的価値観のみに支配されているわけではなかった証左です。ちなみに、復讐者を主人公にした仏教説話としては、最もよく知られたのは〈王舎城の悲劇〉でしょう。『観無量寿経』などの経典に詳しく描かれた、一大叙事詩です。やはり、前世の悪業に囚われ父王を幽閉して殺害し、結果自らも病に苦しみ、シャカに帰依して救済されてゆくアジャセという王子の物語です。手塚治虫の『ブッダ』などが分かりやすく漫画化していますので、参照してみて下さい。