現在の日本史の教科書に環境史に関する記述が少ないのは、どのような意図によるものなのでしょうか?
ひとつには、教科書編集における保守性が原因でしょう。環境史という領域が、学界において一定の地位を得たのはそう古いことではなく、またその視点を援用すると、政治史や国家史の知見、社会史や思想史の知見にさまざまな変更を迫る事態が生じます。授業でもみてきたように、近年は学界における最新の知見も速やかに援用されるようにはなってきましたが、しかし日本史のストーリー全体を書き換えしてしまうような改変は、なかなか実行しづらいのは確かです。「聖徳太子」ですら、「厩戸王(聖徳太子)」という記述から、もとの状態へ戻ろうとしているわけですから。日本においては自然環境と人間社会とが古来より共生状態にあり、豊かな生態系が保全されてきたという「神話」を守るため、意図的に環境史関係の記事が削除されている、ということではないと思います。