人間が生活してゆくのに自然は不可欠であるとすれば、どのように向き合ってゆくのが最適なのでしょう。環境史を研究している学者たちは、どのように考えているのでしょうか。 / 〈共生〉とはそもそもどのような状態なのでしょう。

この問題は、単に政治や社会、経済の問題としてのみ捉えるのではなく、ヒト以外の生命をどのように考えるのか、われわれは彼らとどのような関係を取り結んでゆくべきなのかという、倫理の問題でもあります。ぼくは仏教者でもありますので、あらゆる生命に優劣をつけない、一方が一方を素材として利用したり、抑圧する関係は可能な限り否定してゆく、〈生命圏平等主義〉の考え方を持っています。この思想は、生態系の原則が基本的には〈共生〉にあること、一般にいわれる〈弱肉強食〉は、人間の価値観を投影したものに過ぎないこと、などに根差しています。ロシアに生まれ、日本民俗学の父である柳田国男宮本常一らに大きな影響を与えたピョートル・クロポトキンは、『相互扶助論』を著し、生命の反映は共生に拠るものとし、帝国主義を正当化する適者生存の思想を批判しました。しかし、こうした考え方を原理的に押し通せば、恐らく人間は基本的な衣食住を営むこともできなくなってしまいます。翻って人間社会内部のことを考えると、やはり求めるべき倫理は多様性を尊重する共生社会ですが、それを実現するためには自己の利害を追求するだけでなく、他者の立場を了解したうえで交渉し、合意形成を果たしてゆくことが肝要です。ヒトと他の生命の間も、基本的には同じと考えていいでしょう。しかし、アメリカ等で植物や土地に法的権利を認めるといった見方もあるものの、草木や昆虫はもちろん、一定の意志疎通が可能な動物との間にも、人間と同じ意味での合意形成を達成することは難しいでしょう。ゆえに、われわれ自身が文明を維持したい、発展させたいという欲望を抑制しつつ、この地球上に生きる同朋たちのことをよく知り、試行錯誤を繰り返しながらでも共存共栄を求めてゆくことが肝要と思います。