中国への仏教伝来は、中国の歴史のなかで大きな出来事であるが、「子不語怪力乱神」を標榜する現実主義の中国に、どうして仏教の伝来が可能だったのだろうか。
中国への仏教伝来ですが、確かにまず、〈現実主義〉的なところからその受容が始まっています。例えば、六朝初期の士大夫ら知識人の間には、〈清談〉と呼ばれる文化がありました。儒教から老荘思想に至る種々の思想、思考の論理を用いて、高度な哲学的会話を楽しむものですが、僧侶たちも仏教をもって、この仲間に入っていたのです。劉義慶撰の『世説新語』は清談の宝庫ですが、廬山仏教を率い日本の仏教にも大きな影響を与えた慧遠も、このなかに登場します。一方、当時は西域で流行した禅観経典が多く中国にもたらされ、僧侶たちが山林でこれをもとに瞑想修行をし、多くの神秘体験を得ていたことも確かです。「現実主義の中国が…」と思うかもしれませんが、中国文化にも神秘的な一面が農耕にあることにも注目すべきでしょう。事実この禅観は、仏教以前からあった神仙思想に基づいて受容されたらしく、当時の僧侶たちは、山林で服餌により神仙を目指そうとした隠逸、道士たちと同じく、瞑想を通じて仏陀になろうとしていたものと考えられます。なお、「子は、怪力乱神を語らず」とはよくいわれますが、そういう儒教の信奉者たちもよく怪異を物語っています。清朝の袁枚撰『子不語』などはその典型で、孔子が語らなかった怪異をあえて集めた体裁となっています。