草山・芝山の歴史には驚きました。世界遺産にもなっている熊野は、日本列島のなかでも緑の多い地域とされていますが、ここは何らかの形で保護されたのでしょうか?

熊野に限らず、寺院や神社の境内あるいは所領は、神仏を荘厳する道具立てとして、寺社が自らの用途に用いる以外、許可なく伐採することは禁じられていました。それらは神霊の宿るところである、無理に伐採すれば神仏の罰が降る、といった説明もなされてきたわけです。しかし実際のところ、周辺の人々はその生存を賭けて樹木を伐採する必要があったので、寺社領の無断伐採に関わる訴訟が中世以降頻発することとなりました。神社の鎮守の森については、よく神道側の言説で「太古の森…」などと説明されるのですが、文献資料、絵図や写真などを駆使して調べてみると、概ね伐採のよる植生の変化が生じていることが分かります。しかし熊野については、人間が立ち入るのも困難な急峻な絶域であり、それゆえに深奥まで開発の手が及ばなかったものと推測されます。ただし、大正2年(1913)の『熊野百景写真帖』などをみてみると、ところどころに低植生の景観もみることができ、やはり稲作の展開した地域の周辺は、芝山・草山化したところが少なくなかったと考えられます。