蝦夷はアイヌではないと聞いたことがありますが、人種として当時のヤマトの人々と同種だったのでしょうか。もしそうなら、何を基準に夷狄化を行ったのですか。

アイヌと沖縄の人々のDNAが縄文人のそれと一致する、という説がありますが、縄文時代から弥生時代への変化は平和的融合として起こったことが分かっているので、7世紀の蝦夷ヤマト王権の人々が人種的に異なるものだったとはいいきれません。しかし、かなり朝鮮化・中国化していた中央と、狩猟採集を主要な生業としていたエミシとでは、生活文化の様相が大きく異なったでしょう。王権は文化の相違を民族の相違に転化し、より差別的な文言でそのありようを表現することで、「蝦夷」という虚像を構築したものと考えられます。