オリンピックに伴うさまざまな〈浄化〉については、”クリアランス”より、ethnic cleansingの語がある”クレンジング”のほうが適切ではないでしょうか?

先住民族のマテリアル化の問題を考えると、確かにそうかもしれません。まあ造語なのですが、授業で〈オリンピック・クリアランス〉の表現にしたのは、そもそもオリンピックに伴う社会問題として注視されてきたのが、 slum clearanceであったためです。ジェントリフィケーションと同様の意味を持ちますが、貧困層が強制的に排除され、表面的には"衛生的"で"美しい"別の何かへ再開発されてゆく。そもそもぼくが東京オリンピックに批判的関心を抱いたのは、次回中心的に扱う都営霞ヶ丘アパートの立ち退き問題が発端だったので、その印象が強いせいかもしれません。また、ethnic cleansingはその暴力性が際立ちますが、slum clearanceは、われわれの日常生活のなかへ、例えば衛生面の改善、治安の改善といったように、あたかも〈よいこと〉のように忍び込んでしまうところがあります。それを強調したかった面もありますね。