ジャパノロジー概論(19春)

足利尊氏らが自らを関羽に準えたとのこと、なぜ尉遅恭や岳飛ではなく、関羽なのでしょう。尊氏の立場からすると、漢王朝への忠臣である関羽より、尉遅恭などのほうが適切ではないかと思ってしまいます。

ぼくの講義ではないので正確なところは分かりませんが(笑)、やはり知名度と信仰の程度の問題がひとつ。関羽が同時代にそれなりに著名な武将であったことは間違いありませんが、魏晋南北朝の時代を通じては、それほど屹立した信仰は成り立っていなかったと…

宮澤賢治における自己犠牲の問題は、彼が自ら進んで兵役志願したことと関係があるのでしょうか?

1918/2/1付の、父政次郎宛書簡43の問題ですね。宮澤賢治はこの手紙のなかで、次のように書いています。「次に徴兵の事に御座候へども右に就ては折角御思案下され候処重ねて申し兼ね候へども来春に延し候は何としても不利の様に御座候 斯る問題はその為仮令結…

木地師が小倉という姓を名乗ったように、他のやまびとも保護?されて、苗字を与えられて生きているのではないか。日本にはもうやまびとはいないと思う。

「やまびとは消えたのか?」という問いは、実体的な山人を指して発したのではありません。差別的な表象を付され、ときには権力によって抑圧され、そして近代化のなかで消滅を余儀なくされた人たち…。そうした人たちは、なぜ消えたのか。時代に合わなかったか…

宮澤賢治の作品は利他主義である、という話を高校の頃に学びました。しかし、なぜ自己犠牲でなくてはいけなかったのでしょう。正直私には考えがたい思考です。

このことについては、いろいろな解釈が可能でしょう。宮澤賢治の作品を思想史的に解釈するなら、例えば、彼の信仰した『法華経』の薬王菩薩本事品に描かれる、自らの身体を燃やした火光で世界の闇を照らすという、焼身供養に起源しているのだと説明できるで…

魔女という概念も、女性=自然のイメージから作られたのでしょうか?

もちろんそれだけではありませんが、魔女に自然=女性のカテゴリーを読み込むことは容易です。彼女たちはキリスト教に敵対し、森林に住み、同様の属性を持つ猫や狼を使い魔にしている。統計を取ったことがないので正確にはいえませんが、ヨーロッパの伝承世…

アイヌの研究が日本人論につながるのですか?

まず、「日本人」が何を意味するのかが問題ですね。国際的基準で判断すれば、「日本国籍を持つ者」のことなので、アイヌの人びとも、国籍があれば「日本人」です。また、彼らも列島のなかで社会・文化を育んできた人びとであり、12世紀以降の、列島と北方地…

『菊と刀』に関する話のなかで、日本では自己責任論が根強いとありましたが、一方で集団主義、和といった全体性が大事にされているので、ピンときませんでした。

そうですね、確かに。列島社会では集団性、つまり共同体の規定力が非常に大きく、それに順応すること、適応することが求められます。個々人がそれに対応することで、より共同体規制は強固になり、全体の力は明確になってゆきます。問題は、誰かがそこから外…

日本イメージというのは、日本人は勤勉、真面目などという性格のことなのでしょうか。そうしたイメージは相対的なものであり、ひとりひとり性格が異なり、全体的なイメージを考えることは意味があるのでしょうか。

そうですね、いわゆる国、国民のイメージなどというものは、すべてそうです。個々に還元したときには意味をなさない場合もある。しかし、それを集合的に語ってしまうところに、問題の面白さや、同時に危険性もあるわけです。ゆえに、「そんなの人それぞれじ…