2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
民族社会の時間観念については、多く円環的であるとの分析は一般的にあり、神話や伝承、祭儀のあり方などから説得的に立証されています。太陽・月・星の運行、月の満ち欠け、季節の移り変わりなどからそうした認識が作られてゆき、〈死と再生〉という枠組み…
以前、樹木が伐採に抵抗するという伝承を、中国から日本にかけて集めていたことがありました。その抵抗の形式で最も多いのは、切り口から血が噴き出すというものです。これなどは、樹木を「人間と同じもの」と表象した結果、生まれる表現であろうと思います…
授業でもお話ししたと思いますが、ご指摘のとおり、アニミズムという概念は、地域的・時間的な多様性を隠蔽してしまう語句で、その使用法については注意しています。精霊を人間体で考えることは、アニミズム概念の重要な核で、これを前提に多様性や時間的推…
そうですね。そのあたりの葛藤を理解するための参考文献として、中国の某文化人類学者がペンネームで書いた自伝的小説、姜戎『神なるオオカミ』(講談社)を推薦しておきます。映画にもなりましたが、小説の方がずっといい。文化大革命の時期、モンゴルに下…
残念ながら、パースペクティヴズムを簡易に理解できる著作は、まだないといっていいかもしれません。通常の神話分析ならたくさんの入門書が出ていますが、今回の参考文献リストに載せた煎本孝さんや中沢新一さんの文献は、人類学的な神話分析の多様性を分か…
そうですね、分かりにくいのですが、私は逆であると考えています。つまり、対象をその視角から理解するという認識論が基底にあるために、他種・多種の視点を獲得しうるのでしょう。しかし、パースペクティヴィズムを持つ文化の構成員すべてがそうだというわ…
仏教だけではなく、神話学などでもそうなのですが、同一の尊格を扱った文献が複数存在すると、同じ存在を示していても表記が異なる場合が出てきます。例えば日本の神話では、『古事記』や『日本書紀』の間で、同じ神名でも表記が異なるので、その音を取って…
仏教は、輪廻のなかで生きること自体を苦しみだと捉えますが、その輪廻に生命を縛り付けている悪業のうち、最悪のものを殺生と捉えているわけです。仏教は生命の循環を維持しようと考えているわけではなく、そこからの離脱を最上としますので、殺生戒を設定…
面白いですねえ。厳密に定義すると、負債観の問題は、返済の意識を発動することが伴います。返済はたいていの場合、何らかの形で自然環境を表象する神格に、祭祀をなす形で果たされます。原罪認識自体も広い意味では負債感だと思うのですが、自らの存在を贈…
恐らく、1か0かということではなく、どちらも少しずつあるのが本当のところでしょう。幼児の自然に対する感応の力は、未だ自己/他者の分節が明解でないために強く生じるものです。教育はそのあたりをコントロールしつつ、重要な部分だけを発展的に伸ばそ…
『遠野物語』のオシラサマは、原型としては、中国六朝の『捜神記』という志怪小説に出てきます。養蚕と桑、馬の飼育とは中国の文脈のなかで密接に関連しており(恐らく、厩の二階などで蚕を育てることが原因のひとつです)、遠野地方でそれが盛んになるなか…
前近代社会の人々が、自然環境を近現代人と同じように有限なものとみ、持続可能な利用を考えていたかというと、必ずしもそうではなかったろうと思います。ただし、過度な利用、無軌道な利用が何らかの破綻を招くという共同体規制は、集団を経験的に縛るもの…
異類/人間のどちらが男性、どちらが女性であっても、例えばトーテム信仰的な視野から語られる場合には、生まれた子は民族集団の祖、すなわち人間である場合は多いと思います(ナーナイの話に出てくる熊の子は、人間の娘が熊に掠われ、熊の集団に入って生ん…
存在します。のちの、「巨樹から生まれしものの神話」で扱うつもりですが、とくに列島社会は、もともと人間を草木の一種であると考えていた形跡があります。ただし輪廻に関しては、もちろん釈迦が樹木神になる物語りもあるのですが、やや注意して扱うべき問…
まず、分析対象とする神話が、その地域にどのような形態として存在するのか、生活の基軸に据えられているのか、それとも単に娯楽に過ぎないのか、といった調査や判断が重要です。また後者の場合であっても、それを語り継いでゆく人々の認識のありようを探る…
授業でもお話ししたと思いますが、例えばイヨマンテにおいては、子熊の精霊を父や母の待つ世界へ送るという建前の理解のほかに、そうした祭儀を残酷と思い、子熊を可哀想だと思う認識とが同居しているのです。そうした感情を示すものが、注意してみてみると…
紹介した神話においては、「雌を殺すな、子供を殺すな」という点が強調されていますが、これはいいかえれば、「大人の雄は殺してよい」との表明です。また多く前近代社会・民族社会において、捕食と性行為とはアナロジーをもって結びつけられますが、若者に…
紹介した伝承は、物語の筋のほうは、かなり錯綜して複雑になっています。恐らく、話者が他者に語る際に、さまざまに尾ひれや要素の拡大・縮小が行われることで、多様に変化をしたものでしょう。しかし、類似の事例を多く収集してみますと、これが熊と人との…
一般的にはそのとおりです。縄文時代は前期を通じて比較的温暖で、後期からの寒冷化に伴い次第に海退が始まります。しかし松島周辺は、海退とともに地盤沈下が生じ、結果として現在の海岸線は、縄文時代における陸地と海岸との距離をほぼ保っているのです。…
授業でも触れたジェームズ・スコットが言及している、ゾミアの人々などはまさに「国家の枠組みを超えて移動」しています。ぼくも論文を書いたことがあるのですが、例えば後漢の時代から中華王朝に言及されるヤオ族などは、もともと西南地域の四川省や貴州省…
ウィグル、モンゴルなど遊牧民が国家化する場合(遊牧国家)も、やはり移動から定住へというベクトルが働きます。中心となる支配者があり、その支配が及ぶ領域が確定しており、その支配を領域の人民に及ぼす統治機構を持つのが国家ですが、その規模が大きく…
授業でもお話ししましたが、ぼくは自分をヴェジタリアンであるとは考えていませんし、その価値観を誰かに強制しようとも思っていません。そもそもの契機は、人類学者レヴィ=ストロースが狂牛病について論評した文章のなかに、「狂牛病は、人間が草食哺乳類…
公正平等にみるためには、何を基準とするかより、まず自分の主観を徹底的に検証することが大切でしょう。自分はなぜこの史料を、いま考えているように読もうとしているのか。自分が下した判断、結論には、政治的なバイアスが作用しているかどうかなど、常に…
「本当の…」という形容詞を付けると、あたかも日本人たる本質そのものがあるかのように誤解してしまいますが、そもそも「日本人」という括りで表現できるものが何なのかを考えるべきでしょう。それは日本国の国籍を持った国民なのか、それとも日本民族なのか…
やはり近代日本においては、天皇が現人神として、強固に位置づけられてゆくからでしょうね。前回お話しした国体の生成過程と対応しつつ、天皇を不可侵で真正な神聖な存在と位置づける議論が展開してゆきます。ナショナル・ヒストリーの編纂を期待された重野…
厳密にいうとどうであったか分かりませんが、およその傾向としては少なかった、もしくはなかっただろうと思います。実証主義の価値観に沿って政治に迎合しなかったからこそ、純正史学/応用史学の区別が成り立ち、後者が一種の言い訳の場、逃げ場になってい…
「天皇は朝鮮からやって来た」という説は、いまのわれわれが知ることのできない学説ではありません。例えば、江上波夫の唱えた騎馬民族征服王朝説は、「3〜4世紀に大陸から騎馬民族が九州に渡来して崇神王朝を樹立し、5世紀初めに近畿へ移動して応神王朝…
何度かお話ししているように、真正な意味での客観的な記述は実現することができません。また、これも何度もお話ししているように、歴史は物語りであり過去そのものではありません。叙述・記述である限り、あらゆる史料もまた客観的なものではなく、主観的で…
すなわち真の客観性など実現できず、どれほど徹底しても、せいぜい集合的主観性の範囲を出ないためです。人間の把握している世界=環世界は、言葉と身体によって創出されますが、家族>その他の中間的集合>地域>国家などの共通枠を重層的に持ちつつ、同時…
もちろんそうです。現代歴史学の最前線では、例えば実証主義歴史学によって生み出された過去をhistorical past、前近代の多様な歴史実践に基づく過去をpractical pastと呼んで区別し、かつて「非科学的」と斥けられた後者の豊かさに注目しています。現在の価…