全学共通日本史(12秋)

「野性の象徴と狩猟」のレジュメを、下記のURLからダウンロードできるようにしておきました。1週間ほどは可能なはずです。必要な人は、アクセスしてみてください。

http://urx.nu/35ub

質問を受けましたので、ここにも学期末レポートのテーマを解説しておきます。また、評価のポイントについても載せておきましたので、執筆の際の参考にしてください。

【テーマ】 講義で扱ったトピックのなかから関心のあるものを選び、自分でテーマを立てたうえで、先行学説や史資料等を調査し、考察して結論を導き出しなさい。・自分なりの問題観心を持つこと、文献は批判的に読み込むこと、事実/見解を区別すること、他人…

オオカミは群れで行動するのに、なぜ「一匹狼」などという言葉が生まれたのでしょう?

これは、群れで行動するのが普通である狼が単独で行動していることから、群れをなすことをよしとしない、より孤絶性が強調された形で形容がなされたのです。群れから離れた狼は本来無力であることから、大きなリスクを背負ってなお孤独であること、孤高の存…

オオカミがキリスト教世界で差別的扱いを受けていたとすると、「ベオウルフ」などの物語はどう捉えられていたのでしょうか?

ベオウルフは、熊の解説の際にもお話ししたように、bear-wolfであり、「熊狼」を意味します。こうした英雄叙事詩は、ゲルマンの神話や古ヨーロッパの信仰に取材していますので、むしろキリスト教が排撃した多神教的要素を色濃く残しています。熊であり狼であ…

「狼を未開の象徴として貶めるのは宿命だった」とは、どういうことでしょうか? / キリスト教が狼を貶めたのは、多神教の偶像を破壊する意味もあったのでしょうか? / 狼を悪魔とみなした聖書世界とは、旧約時代でしょうか、それより後の時代でしょうか?

授業でもお話ししたように、キリスト教の言説は牧畜文化を核に成り立っています。牧畜にとって狼は敵であり、ゆえに悪魔と重ね合わされてゆくのでしょう。ちなみに、人類学者の谷泰氏らの見解では、人類史のうちで牧畜が開始されたのは西アジアであり、家畜…

モンゴルは西戎でしょうか? 位置的に北狄なのではないかと思うのですが…。

うーん、確かに、方角としては北狄ですね。しかし漢文化においては、狄よりも戎の方がイメージがよいのです。狄には、匈奴をはじめ数々の征服王朝があり、暴力的なニュアンスがつきまとっているためでしょう。それに対して戎は、初めての統一王朝を形成した…

モンゴルのオオカミ崇拝といえば、チンギス=ハンの蒼きオオカミと白き牝鹿の話ですが、父親がオオカミなのはよいとして、母親がシカなのはなぜでしょうか。

遊牧民族であるモンゴル族にとっては、鹿は狩猟によって得るものであり、やはり野生の象徴です。鹿の角は大地の豊饒を表し、美しい毛皮は、衣服や敷物の料として重宝されました。以前にお話ししたチペワイアンがカリブーを、インディアンが山羊を神聖視した…

日本では、狼も犬も昔から存在したと思うのですが、「飼育する」という文化はあったのでしょうか。 / 狼と犬とはやはりイメージが異なると思います。犬には親近感しかないのですが…。 / 狼を改良して作った犬が神聖化されるのが少ないのはなぜでしょう。人が「自らの手で作った」という認識があるからでしょうか?

かつて、犬の祖先はジャッカルであると考えられていた時期もありましたが、現在では狼説が主流です。ハスキー犬やカラフト犬など、とくに北方系の犬には狼の血が色濃いようであり、狼の人に飼われたことを確認できます。日本では、近世以降に幾つかの記録が…

狼と人間の食べるものが競合するとのことですが、人間は狼を食べなかったのですか?

狼猟は近世各地で実施されるようになりましたが、食用として狩猟されたわけではなく、あくまで狼害を抑止するためでした。日本では弥生時代から犬の肉を食べていたので、狼をまったく食べなかったわけではなかったでしょうが、肉としては臭みが強く美味では…

人間が書いた物語のなかに出てくる動物というと、私は「桃太郎」の犬・猿・雉を思い出します。これは、なぜこの3匹だったのでしょう。

桃太郎の敵は鬼ですが、陰陽道の考え方では、東北すなわち丑寅の方角を鬼門とし、よくないモノが侵入してくる入り口と考えます。それと対称的な方向が、未申(ヒツジサル)=南西、酉(トリ)=西、戌亥(イヌイ)=北西などですが、このうち日本にいない未…

『もののけ姫』では、オオカミの姿の山の神も存在しますが、シシ神のようなシカ?の姿の神も登場します。シカを神のように考える文化も存在するのでしょうか。

日本では、恐らくは稲作の本格化する弥生時代から、鹿を神聖視することが始まります。祭祀の道具である銅鐸などに鹿の姿が描かれ、最終的には春日大社や鹿島神宮、厳島神社、諏訪大社などで、鹿を神の使いとする考え方が定着してゆきます。鹿の角の生え替わ…

「熊人を助」のなかで、熊が去った後、助けられた人間が神仏を拝する場面が描かれています。これは、熊が神仏の使いとして描かれているからでしょうか。

直接的に関わっているというより、熊が助けてくれたという不思議が、神仏のもたらした幸運だという考え方でしょう。熊自体に神性を認めるような描写はないようです。

先生が紹介してくださった狼に関する文学作品は、「野性」をロマンティシズムの空想の世界にしてしまっただけではないでしょうか。地上に野生の大型哺乳類がほとんどいなくなってしまったら、人間と動物との関係はどのように変化してゆくのか、気になります。

ロンドンやシートンの作品は、ロマンティシズムでは括れないリアリティを持っていると考えています。双方とも、ゴールドラッシュに沸くアラスカで起きた自然と人間との戦い、ニューメキシコにおける牧場主と狼との戦いを前提にしているからです。まったく牧…

昔、狼に育てられた少女の話を聞いたことがあります。人に近づけようと教育してもできなかったとのことですが、人間と狼との共存は難しいと感じました。先生はどう思いますか?

アマラとカマラの話ですね。最近では、この話は捏造であるとする説が有力になっています。実際は精神に障害を抱えた児童であったようですね。しかし、人間の子供を他の動物が養育することがまったくないのかと問われると、明確に否定することもできないよう…

なぜ人間は、動物を自分より下位の存在とみなすようになったのでしょうか。

これは難しい問題です。それを中心的主題に据えて研究している、といってもいいかもしれません。人間は環境に適応するために「文化」を構築する生物ですが、そのことと関連するのではないでしょうか。皆さんも考えてみてください。

追儺の方相氏について。天狗とそっくりに思うのですが、関係はありますか? / 方相氏は鬼のような面を着けていますが、熊と同じように、もともと鬼を追う神聖な役割だった彼らが、追われる鬼へ変化してしまうということでしょうか?

天狗の姿形は修験道の山伏をモチーフにしていますので、方相氏とは関係ありません。なお、方相氏が鬼になるというのはそのとおりで、追儺においては、中世から方相氏が追われる役になってしまいます。それは熊と同様、方相氏が両義性を持っていたためで、そ…

祥瑞の熊について、黄色や青色のそれより、赤色がランクが上なのはなぜですか。色によって優劣が決まるのでしょうか。

色彩の意味付けは主に五行説によってなされます。赤は火の色、黄色は土の色、青色は木の色ということになります。ほかに金は白色、水は黒(玄)色です。このうち、ふつう最もランクが上なのは黄色で、土は方角的に中央を表し、中華=皇帝に通じるためです。…

「熊本」という地名は、熊と関係があるのでしょうか。

これは、周縁の方を意味する「隈(クマ)」ですね。しかし熊自体に周縁の意味が含まれるとすると、ほぼ同義ということにもなります。

産婦がケガレとみなされたのはなぜでしょうか。ヨーロッパにも同じ見方があると思いますが、関係はありますか?

前近代に女性が差別的に扱われるのは広く世界的にみられる現象ですが、その要因のひとつとなっているのがケガレです。日本では、死のケガレに対して赤不浄などとも呼ばれ、血のケガレを意味するものとされました。しかし、本質的にはその血が月経、もしくは…

江戸時代に熊を飼っていたことについて、ペットという感覚とは違うのでしょうか? / 熊を飼うだけの経済力が一般人にあったのでしょうか。また、法律による規制はなかったのですか。

紹介した史料はペットの感覚に近いですが、穿った読み方をすれば、仔熊を育てるアイヌのように、我が子に近い感情を持っていたとみることもできます。経済力の問題については、その後この熊がどのように飼われていったか、途中で手放されたものか殺されたも…

熊掌が栄養価の高いものと扱われていたのは分かったのですが、実際にはどうだったのでしょうか。 / 熊掌は右手が重宝されたとのことですが、熊には左利きのものは存在しないのでしょうか。

これはどうなのでしょう…寡聞にして知りません。また調べておきます。右利き/左利きの問題については、人間と同様に左利きの個体も存在したと思われます。しかし、右利きが優位で、一般的に右掌が重宝されたということに過ぎません。

神聖だと思う熊の毛皮を剥いだり、熊胆を服用したりすることを不思議に思います。神聖なものに手を加えることを、昔の人は恐れなかったのでしょうか?

これは以前にも回答しましたが(性愛と食との関係についても言及しました)、前近代社会、民族社会では、神聖なものほど食の対象になりうるのです。その生物の能力を認め、それを自らのなかへ吸収したいと考えるからです。首狩りやカニバリズムの根底にも、…

熊のほかにも、鬼として認識された動物はいたのでしょうか? / 熊ばかりが神聖視され、他の動物はそこまでメジャーにならなかったのはなぜですか?

いまお話ししている狼についても、これを「鬼」と捉えた史料が存在します。もっとも、これについては狼の別称であるオイヌを、オニと聞き違えたのだという説もありますが…いずれにしろ、人間にとって周縁的存在であり、野生を代表するような畏怖の対象は、神…

当時の「鬼」についての認識ですが、鬼も一種の神としてイメージされていたのでしょうか。だとすれば、神/鬼の根本的な相違はなんですか?

「鬼」という漢字の原義は死体で、転じて死霊、祖霊を指すようになりました。日本ではこれにオニという訓を付けますが、これは陰陽の陰=ヲンを表すとか、さまざまな説があります。角を生やして虎のパンツを履いて…といった常套的イメージができあがるのは、…

クマの語義として、「隅」に等しいとする説について、「人間が住む世界と動物や神々の住む世界との境界」との説明をいただきましたが、これでは以前から人間と動物を分けて考えていたことになりませんか?

もちろん、個体や生物種が異なりますので、一定の区別はされています。それは人間でも同じことで、ヤマト王権の段階では、地域的・文化的差別が行われました。九州南部の人々は「熊襲(クマソ)」と総称されましたが、中央の人々による文化的差別でありなが…

熊送りのような祭儀は、他の動物に対しても行われたのでしょうか? / 虫送りは、どのように行われる祭儀なのでしょうか。

はい、アイヌの世界では、狼送りやフクロウ送りもあります。しかし、鹿や鮭などは送りの対象となっていないようで、やはり生命へのランク付けは存在するようです。しかし、送りは極めて広い文化事象であり、人間の葬儀も送りの一種です。事実、中国少数民族…

私の父は、家の近くに小さな畑を借りて野菜を作っています。殺虫剤や除草剤はほとんど使わず、代わりに虫が嫌う植物を植えたりして、なるべく野菜が害を受けないようにしています。それでも、虫の命を奪っていることになるのでしょうか。

人間が、自分の身に合うだけの食べ物を作る農耕が、自然に対する圧力の最も少ない営為だと思います。しかし農耕は、どんなに小規模なものでも、必ず自然環境を改変します。その善し悪しはともかく、同じ作物を同じ場所で作り続けていれば、肥料を加えなけれ…

「義獣」は熊だけに対する表現でしょうか。他の動物にも使用される言葉なのですか? / なぜ鈴木牧之は、熊が他の獣を殺さず虫を食べることを、「義獣」の要因としたのでしょうか。

日本ではあまり使用しませんが、漢籍には例があるようです。儒教思想から獣をみた場合の位置づけといえるでしょうが、本来の儒教は人間/動物の区別を厳密に付けますので、ランクの低い獣が義を知ることの特異さから呼称されるものといえそうです(よって、…

現在私たちは熊に恐れを感じ、護身のために殺害することもある。ではなぜ、くまのプーさんなどといったマスコットキャラクターに人気があるのだろう。呪術性を失い、人間と熊との関係が稀薄になった現在、キャラクターとしての熊を通して、再び熊との関係を築きあげようとしているのだろうか。 / 熊から得られる効能の消費者から、これを愛でる消費者へどのように変わったのか分からず、もやもやしています。

講義でお話ししたとおり、実際の熊と遭遇する機会が減少する一方で、もともと熊に対する言説のなかにあった親近性ばかりが肥大し、「かわいい」要素が情報として支配的になってしまっているからでしょう。いいかえると、自然を征服したという幻想に無自覚に…

無痛文明論について関心を持ちました。確かに最近、人間はぬくぬくとしすぎかもしれません。しかし、そうだというなら、どのくらいまで文明を戻せばいいのでしょうか。 / 大事なことは、自然界が人間のみで成り立っているのではないと、常に考え続けることだと思う。そのために、極端だが、熊送りのような祭儀を復活させてもいいかもしれない。実際にそのような文化を保持している地方が、まだ日本列島にもあるのだろうか?

文明をある時点まで戻す、という発想は、残念ながら現実的ではないでしょうね。現在の原発に対する反応をみても、人間は進んだ先から引き返すことがなかなかできない、豊かさや快適さを手放すことができない生物であるようです(まあ、生き物とはそうしたも…