2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

もしアイヌが松前藩に服従していなかったら、現代まで独立国家として残っていることができましたか?

アイヌが国家化しえたのかということは、現代学界において盛んに議論されていることのひとつです。近世に入る段階では特徴的な首長制社会に到達していたわけですが、この情況を「すぐにでも国家になりえた」と表現する研究者もいるようです。しかし、クナシ…

「文字を失う」伝承のお話がありましたが、そんなことは本当にありうるのでしょうか。アジア圏にそうした伝説が多く残っているということは、何か理由があるのでしょうか?

世界には、「かつては盛んに使用されていたけれども失われてしまった」文字は幾つも存在しますので、民族が「文字を失う」ことはありえないことではありません。ただし、アジアなどで広汎にみられる文字喪失伝承は、例えば東南アジア地域の歴史人類学的研究…

アイヌを示す言葉が史料のなかで幾つか出てきているのですが、どのような基準で分けられているのでしょうか?

授業のなかでも言及しましたが、例えば「骨嵬」は、アムール川流域の諸民族が用いるツングース諸語、ニヴフ語などでアイヌを意味する"kuyi""kui"に、漢字の音を当てたものと想定されています。これは元朝の表記ですが、清朝には「庫野」という表記もみられる…

中近世のアイヌ文化は、現代でもアイヌたちによって行われているのですか?

社会や経済のあり方が変われば、伝統文化も変質しますし、また維持できないものも出てきます。現在、日本列島全体で伝統的な年中行事が消失しつつありますが、とくにアイヌの場合は、近代における同化政策の影響で、破壊されてしまったものも多くあります。…

現代ではアイヌ文化は海外からの関心が強くなっていると聞いたことがあります。何がきっかけなのでしょうか?

やはり、エコロジー・ブームの関係が大きいですね。アイヌだけではなく、北方狩猟民などの少数民族は、自然環境と共生する文化を自らの特徴として打ち出しています。アルネ・ネスの唱えたディープ・エコロジーなどでは、その憲章において、自然に密着したフ…

現在アイヌは、北海道、サハリン、本州東北部にしか住んでいないのでしょうか。私の住む幸手市のサッテは、アイヌ語由来の地名だと聞いたことがあります。

現代においては、いわゆる本州地域にどの程度のアイヌの人びとが暮らしているかは、判明していません。調査に応じない人びと、申告のない人びとがいるためです。ただし、東京に相当数の人びとがいて、独自のコミュニティを作っていることは分かっています。…

博物館・史跡に関するレポートについてですが、資料館はその対象に含まれますか?

公文書館、史料館、民俗資料館なども、博物館の範疇に含めます。

神仏習合は、ここまで明確に史料が出ているのに、なぜ日本の社会では未だに固有のものと考えられているのでしょうか?

前々回お話ししたように、やはり、宗教に対する寛容さの象徴のように位置づけられる神仏習合を、列島文化として考えたい欲求が強いのでしょう。もちろん、正確な知識がほとんど広まってないことも原因です。一般社会は、「本当のことを知ろうとする」知的好…

神仏習合とは少し離れてしまいますが、日本では天皇を神として考えてきました。なぜ神武天皇のような存在が考え出されたのでしょうか?

神武天皇は、国家の始まりを象徴する存在です。7〜8世紀の古代国家が、国内外に「日本」の起源を説明しようとするとき、中国王朝の始祖たちに準えて創出したものと考えられます。その描写には、漢籍に基づくフィクションも多いのですが、大王家はもちろん…

自然たる神の創造者や超越者はいないのか。何だか神が個別的で、全世界を説明するような形而上学的体系は、外来のもののように思われる。

縄文時代の遺物や遺構を分析してみると、どうやら当時の人々は、死と再生という自然の循環のサイクルを、神的なものとして信仰していたらしいことが窺えます。森羅万象に精霊の宿るアニミズムは、そのうえに展開していたと理解するならば、かかる〈死と再生…

神身離脱の問題は、税の徴収システムの綻びという問題でもあるのではないか?

重要な指摘ですね。より正確にいいかえると、勧農イデオロギーの不全、ということになるかと思います。8世紀は温暖化により農業の収量が増え、条里制にも基づく耕地開発や、三世一身法から墾田永年私財法に至る土地制度が整備されてゆき、有力農民から新興…

神が苦しんでいるという考え方が、いまひとつなぜなのか分からなかった。神については、極楽浄土にいて、苦しみを想像させるものとはあまり思えないから。

神が苦しむ存在とみなされた理由は、上記のとおりです。また極楽というのは、仏教のうち阿弥陀信仰に基づくユートピア=仏国土であり、解脱したもののみが往生できる世界ですので、そこに存在するものはすべて仏です。未だ輪廻する存在である神は、天道には…

神の身であることが苦しみを招き、それが人間を間接的に苦しめ、罪とされてしまうのでしょうか。それとは別で、天界にもある老衰死に苦しむことで、それが影響するのでしょうか。また、神は離脱したあと何になるのでしょうか。

中国で作られた神身離脱の形式において、神が苦しむ存在、罪を作り続けるものとされたのは、まずはその信仰のあり方にあります。中国における祠廟の神々に対する祀り方は、当時、酒と肉を供えて祈願するのが一般的でした。これは、超越的存在に犠牲を捧げる…

神仏習合について、仏>神という印象を受けました。神は苦悩する存在とされていますが、人を救うタイプの神はいないのですか?

初期神仏習合は、仏教の側による神の〈解釈〉なので、力関係において仏>神と認識されてしまうのは、仕方がありません。ただし、日本的特徴の箇所でお話ししたように、古代日本の神身離脱説は、廟神を解体する中国のそれとは異なり、神祇の再活性化へと向か…

仏も神も、人が信仰するものという点で同様な存在なのに、神仏習合という考え方が生まれる前は、なぜ別のものと考えられていたのですか?

もともと「仏」は目覚めた人を意味していましたが、大乗仏教化のなかで神格化が進んでゆきます。しかし、人間が修行を重ねて「なる」存在であることに注意が必要です。一方の神祇信仰の「神」は、やはり自然を直接的に表象するものであり、人間が「なる」も…

K氏の見解の引用で、仏教が入ってすぐに神仏習合の思想ができたというところでは、その当時は仏教が主なものと思っていたので、かなり違和感がありました。

これは高校までの日本史で習うと思うのですが、神仏習合が始まった7〜8世紀は、必ずしも仏教が主流ではありません。古墳時代から継続してきた神祇信仰があり、古代国家の政策や仏教の影響を受けて勢力を拡大しています。例えば、神祭りの場は本来臨時に設…

高校の歴史では、仏教が多く扱われて神道はあまり取り上げられないし、儒教はそれこそ朱子学くらいしか出てこない気がする。どうしてこのような情況になったのだろうか。

考古の時代のアニミズムから始まり、律令国家の祭祀のあり方、中世の唯一神道、近世の国学・復古神道、近代の教派神道などは教科書でも扱われていますが、恐らくほとんど解説されていないので、印象が希薄なのでしょうね。1つめの単元でも解説したように、…

日本史はすべてを通して、一国史ではなく東アジア的に考えるべきなのかと感じた。逆に日本固有のものとは?

まず、「独自」や「固有」といった言葉が、自分のアイデンティファイする集団を前提にした価値付けである、という点に注意が必要です。それらをまず括弧に入れて考えれば、例えば神仏習合なども東アジア的宗教現象として理解するのが適切で、中国と日本列島…

日本は無宗教といわれているが、神仏習合は特定の神を信仰しているのではないかと疑問に思った。

えっ、無宗教ではありませんよ。1つめの単元でも詳しく言及したように、日本を無宗教だと断定するのは、西欧的宗教観というスケールに当てはめた批判に過ぎません。列島文化には極めて多様な宗教が息づき、時代・社会の展開にも大きな影響力を持ってきまし…

言語論的転回のところで、同じ空間に生きていても、個々人や時間によってみえる世界は異なり、唯一普遍の世界は存在しないというお話をされていましたが、言葉には人の価値観を共有する力もあり、ものの見方には何かしら共通のものもあると思います。 / 言葉が見方を再構成するから、個人や時代によって叙述の仕方が異なるというのは分かるのですが、そこから普遍的な世界がないとはいえないと思いました。すべての叙述に共通点があれば、普遍的世界もあるはずではないでしょうか。

主観を排した普遍的世界が存在しないというのは、量子力学的実験によってもある程度明らかにされています。しかし、われわれが作り出している環境の世界の外部については、確かにある程度想定することが可能です。ただし、授業でもお話ししたように、それを…