2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
浄土信仰は、必ずしも「極楽浄土」だけを指すわけではないのです。例えば『阿弥陀経』などでは、東・西・南・北・上・下の六方にそれぞれ異なる浄土が設定しています。いわゆる阿弥陀如来の極楽浄土は西方に位置しますが、東方には薬師如来の瑠璃光浄土が存…
境界は境界でしょうが、出雲や紀伊とは少々位置づけが異なります。早い時代においては、ヤマトにとって、東国は「肥沃で強力な人々の住む土地」と見られていたようです。中華思想の導入によって「夷狄」概念が当てはめられ、その文化は差別的に扱われてゆき…
むしろ、藤原四子が相継いで死没してしまったので、それを補うミウチ勢力=四家の代替要素として諸兄を昇格させたとみるべきでしょう。藤原氏の司令塔は消失し、光明皇后だけしか残っていませんでしたので、四子の次の世代が育ってくるまでの間、それこそ中…
詔勅の内容がどれほど天皇の個人的意図を反映しているかということは、史料ごとに充分考えてみなくてはなりません。史料13の場合は、草壁皇統を維持するミウチ的まとまりの総意といえるでしょう。公卿の席は限定されていますので、橘氏が有力な立場を維持し…
橘諸兄の場合は、すでに聖武や光明子の意向を受けているので、朝廷内へ恒常的に公卿を輩出しうる家を構えられるという期待があったのでしょう。姓も後に朝臣へ改姓されていますし、賭には成功したといえそうです。
「姓」には、真人、朝臣、宿禰、忌寸、臣、連、造…などがありますが、これは氏族と王権との関係、奉仕の来歴を示す称号です。その姓自体に、氏族の基本的な属性、いかなる職掌によって王権に供奉してきたかなどが分かるようになっています。つまり、ウヂナは…
これも、それこそ方便なのでしょうねえ。蝦蟇を救うために嘘をついたけれども、それはより大きな善業のために正当化される。だからこそ、簡単に仏教の論理に説得されず、どのような問題が隠蔽されているのか、正当化されているのか、批判的に考える必要があ…
放生も立派な「行」ですので、それなりにリスクが伴い、それを克服してゆくことにこそ意味があるのだ、と考えられます。
脱皮は関係するでしょう。また、蟹全般ということで考えれば、潮の満ち引きも意味がありそうです(月のイメージとも重なりますので)。史料12の物語は、山背国の木津川周辺で作成されたようで、現在も白鳳期創建の「蟹満(多)寺」が存在します。木津川周辺…
光明立后は、藤原氏腹の皇子を嫡流とすることを意味します。藤原氏の血を受けた首皇子や光明子はともかく、元明や元正がなぜそのことを推進したのかどうかは分かりませんが、やはり持統天皇・草壁皇子と藤原不比等との関係が大きいのだろうと思われます。不…
位階によって、給与や就ける官職に差違が生じますので、昇進した意味は確実にあるのです。
発想としては周王朝の頃から存在しましたが、制度的に確立してゆくのは、災異思想が発展した漢代でしょう。日本の律令国家も、歴代中国王朝の思想を受け継ぎ、祥瑞を政治的に利用してゆきます。ちなみに亀は祥瑞のなかでも一般的なもののひとつですが、講義…
やはり、両者を政争の関係でのみ捉えるのは誤りである、ということでしょう。長屋王は不比等の後継者として四子とは盟友関係にあった。ゆえに、不比等の邸宅、四子の邸宅と極めて密接した場所に生活していたのです。彼にしてみれば、政治路線が異なってきた…
京内の土地は位階に応じ、面積・場所などが区別されて支給されます。下級官人であっても、京官であれば京内への宅地班給が保証されます。しかし、狭苦しい京の宅地は仮の宿で、郊外に本拠を置く人々も少なくなかったようです。また、講義でもお話ししました…
すべてが道教的とみなされたわけではありません。例えば仏教にも病気平癒の呪術があり、「僧尼令」という法律によって使用が制限されていたのです。律令国家は、中国において常に反乱の火種となってきた道教の正式な輸入を拒否しました。ゆえに道教由来のも…
これは中国の『千金翼方』という医学書に記述がある呪法なのですが、恐らく何らかの道教経典などに神話的裏付けを持つものでしょう。道教では六朝期、あらゆる精霊、神的存在を「鬼」という概念で把握する試みが生じ、これをコントロールすることで疫病や災…
まず、「神」という言葉の定義をしっかり考えなくてはいけません。キリスト教の枠組みだけで「神」を論じるのは大きな間違いです。例えば神を、「人智を越えた力を持つ霊的存在」とするならば、日本にも「神になる」思想はあります。もともとは神仙思想の導…
これについては、よく分からないのが現状です。しかし、『霊異記』の編纂者である景戒は、長屋王首班体制に弾圧された行基の熱烈な信奉者でした。『霊異記』に採録された個人に関わる説話のうち、最も多いのが行基関連です。また、行基の弟子で、大仏開眼会…
中国から怨霊信仰が将来され、それが一般化してゆくのは平安時代に入ってからです。『霊異記』が編纂されるのは平安初期、ちょうど早良親王の怨霊などが問題化してゆく時期と重なるので、長屋王の祟りの解釈はそれを反映してのことでしょう。しかし、『続紀…
講義でもお話ししましたが、4〜5世紀の紀ノ川河口には紀水門という外港が置かれており、海外の文物はここからヤマトの中枢部へ流れ込んでゆきました。そのため紀伊周辺は境界視され、異界・他界との接点といったイメージが付与されてゆきます。長屋王が流…
関係あるでしょうね。亀には穂落神的なエピソードはありませんが、アジア圏で最も古い神話は「洛書」に関わるものです。中国の夏王朝を開いた禹が舜帝の命を受けて治水に従事しているとき、洛水から出現した亀の甲羅に描かれていた「宇宙の真理」で、後の魔…
確かに、墓が南にあるというのは道教ぽいですね。墓の風水的設置を語る『宅経』の類は中国でも広く利用されていましたし、日本でも仏教の疑偽経として作られたものが7世紀には使われた形跡があります。『風土記』の説話も、表現としてはせいぜい7世紀末ま…
ヲロチの物語の文脈においては「上流で人が生活している」ことを意味しますが、ハシにはそれなりに象徴的な意味があります。ヤマト言葉では、内/外の接する境界的事物をハシと呼ぶ傾向があるようです。川にかかるハシ(橋)、隅や縁辺を意味するハシ(端)…
そのような微細な相違に着目するのは重要なことです。同一の神話形式に語り方の相違があるのは、ひとつには社会における機能、役割が相違しているからで、その背景には語られる時代の相違があります。例えば女性が異類の仲間になってしまう場合は、未だ異類…
端的には斐伊川の洪水への畏怖が大きいでしょう。しかし、現在我々が読むことのできる物語自体は、王権による「蛇」への蔑視が含まれていないとも限りません。講義でもお話ししましたが、ヤマタノヲロチ神話は『古事記』に掲載されるものの、『出雲国風土記…
少ないながらもありました。最も典型的なのは「橋姫」です。たまたま通りかかった男性が供犠されようとした話など、血なまぐさい物語が多く残っています。山神にも女性の神格がみられ、祭祀の日に彼女を喜ばせるため、男性が裸で山中を走るなどの行事が行わ…
政治的な権力の拡大を狙っているむきもありますが、それよりも重要なのは、大王の権威が自然神を上回るのだということを喧伝することでした。これらの神殺し譚は多く開発の現場で語られ、工事の達成と一体になって、人々の自然神への恐怖を払拭していったも…
もちろん、実際の敷設はそれほどスムーズに進んだわけではありませんでした。すでに藤原京、平城京などで高度な土地造成、建築技術を駆使していた古代国家ですから、土地区画における技術的困難は大きなものではなかったでしょう。問題は労働力や財源の確保…