全学共通日本史(16秋)
全面的に「そうだ!」といえるならよいのですが…。確かに、一方でこの件に関しては北大などが対応を誤らなかった(北大が、というより、事件に直面した教員たちが、誠心誠意尽力したのだと思います)ことは間違いありません。だからこそ、韓国国内でも大きな…
「被髪左衽」は、中国文化においては夷狄表象の最も一般的なものなので、知識人の常識のひとつです。また、蝦夷錦は中国清の官服ですので、すべて右衽で着るようにできており、左衽では着られないものなのです。よって、『夷酋列像』の左衽表現は書き誤りな…
授業でも源頼朝が水豹の障泥を用いていた事例を紹介しましたが、もちろん北方交易は存在したと考えられます。すでに10世紀の『延喜式』交易雑物では、獣皮や熊胆などが貴重な交易品として規定されていました。『奥州後三年記』『台記』『吾妻鏡』など、院政…
例えば、一昨年話題になったピケティの議論では、資本主義に内在する社会的格差を是正してゆくためには、国際的な富裕税の導入、すなわち世界規模での富の再分配を制度化してゆくしかないといわれています。これは、表面上は「有無相資」に近いですが、「人…
当時東学党が邪教とされたのは、反政府運動すなわち逆賊であったことや、日本政府の喧伝によるところが大きかったものと思われます。現在は、客観的な歴史理解のなかで、民衆救済を意図したその思想や運動が評価されているということでしょう。その民族運動…
最初の党首であった崔済愚には、反乱の意志はなかったかもしれません。しかし、彼が無惨な殺され方をしたために、政府に対して不満を持っていた民衆のエネルギーが爆発した、といえるでしょう。当初の反乱は政府に対してのものでしたので、日本軍に立ち向か…
司馬遼太郎は、一時期、国民作家ともいえるほどに「読まれた」、時代小説家でした。『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』『最後の将軍 徳川慶喜』『功名が辻』など、NHKの大河ドラマ化された作品も多く、他の局のドラマ、映画になった作品も数えきれません…
え、どうしてそういう理解になってしまったのでしょうか。「日本は朝鮮の独立を望んでいた」などという話は、一切していませんので、もう一度プリントなどしっかり読み直して下さい。日本は朝鮮を大陸進出の足がかりとして植民地化してゆきますが、その最初…
日本と何か意味のある繋がりがあったのではないと思います。佐藤政次郎が珍島を調査した際に、さらし首になり、恐らくは腐敗して、白骨化した頭蓋骨を発見したのでしょう。墓暴きなどより、楽に採集ができたのだと思います。また、「日本に反抗的な朝鮮人の…
戦後しばらくの間は恐らく事情を知る人間がいたはずですが、70年代以降は、何の骨か確認されずに、他の標本類と一緒にされていたのではないでしょうか。「人骨」「ワレモノ」というダンボールのマジック書きも、あまり悪意はなかったのだと思います。ぼくも…
この結論は、ぼくの方からは出さないことにします。最後の授業の課題へ向けて、しっかりと考えておいてください。
沖縄文化が広くみなおされてゆく90年代以前には、就職、結婚などをめぐって、沖縄出身者が不当な差別を受けることが多くありました。戦前、戦中においては、ハジチ(女性に成人儀礼としてなされる入れ墨)など沖縄独自の習俗が未開なもの、原始的なものとし…
まず、検定教科書がナショナル・ヒストリーの提供メディアであることは間違いないとして、その記述すべてを国家主義と価値付けることはできません。もしそうなら、教科書の内容は非民主的なものとなり、事実などほとんど影を潜めてしまうでしょう。そのうえ…
まず大きな誤解であるのは、「民族」という概念が社会的・文化的なものであり、自然科学的・生物学的なものではないということです。例えば、現在国際社会で最も一般的な、エクアドルの人権学者ホセ・マルティネス・コーボが国連への特別報告書で行った定義…
それは違います。そもそも、農耕が狩猟より優れているとの認識自体、極めて限定的なエスノセントリズムに過ぎないことは、これまでの講義のなかでも指摘してきたとおりです。しかも、この同化政策による農民化は、アイヌの人々の望まぬものであったわけです…
まず、上記の法律がアイヌを「保護」する目的で作られたとは、考えない方がよいでしょう。これは前提の話です。「土人」という言葉は、もともとは漢語で現地の人という意味に過ぎませんが、中央による収奪の対象となった作物を「土毛」というように、やはり…
ひとついえることは、まず、富士山がなかなか世界遺産に登録されなかったのは、ゴミ問題が原因であったということです。最近は外国人観光客によるゴミ問題が取りざたされていますが、そもそも、世界遺産登録を目指し始めた1990年代、富士山の五合目以上の屎…
うーん、これも説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、上の回答も参照してみてください。つまり、集合的アムネジアは個人的な現象として起きるわけではなく、多く社会的、政治的要因が関係してもたらされるのです。それを防ぐためには、メディア等によっ…
確かに、リセットはいいすぎだったかもしれませんね。しかし柴草山の問題からいうと、農村からもその記憶がほとんど消えてしまっているのが現状なのです。これは、世代論だけでは説明できない現象です。集合的アムネジアの問題は、例えば世界的には、「スパ…
柴草山の集合的アムネジアにおいて特徴的なのは、その記憶喪失が都市部だけではなく、農村においても起きているということです。これは、農村の生活サイクルが変化したために、生業と密接に結びついた柴草山の記憶が塗り替えられてしまったものと思われます…
関係しますね。かつては、いわゆる野生の領域と人間の生活領域が、里山的なものによって明確に区分されていたものが、その衰退で緑が繁茂したことにより曖昧になり、野生動物の増加と里への進出を引き起こしていると考えられています。例えばイノシシやクマ…
すでに中学の地理、あるいは世界史あたりで、地中海性気候などは勉強していると思います。ぼくの説明の仕方がよくなかったのでしょうが、局所的な気候については、緯度・経度のほかに、周辺の地形やそれに伴う大気の循環など、さまざまな要因が関連してきま…
捕鯨については、まだまだ研究の余地があります。日本列島のなかに、鯨を捕り、食用その他に満遍なく利用する文化が、早くから存在したことは確かです。しかし、それら捕鯨を行っていた地域で、自分たちで消費する以上の量を捕獲してゆくようになるのは、列…
なるほど、そういう解釈もありうるかもしれませんね。一般的には、山姥には、里の人間にとって有害な部分と、恩恵を授けてくれる部分の両義性があると指摘されており、これは山の神の性格に基づくと考えられています。日本列島で崇拝されてきた自然神は、概…
野焼きが単に環境へ悪影響を及ぼすものでないことは、前回の質問への回答でも述べました。人間の生産活動の善し悪しは、その地域の環境にとって好適か否か、環境への負荷ができるだけ少なくなるよう配慮されているかどうかが重要と思います。野焼きは一般的…
自然環境の善し悪しの基準は、一般的に生物多様性の観点から考えるべきとされています。すなわち、より多くの生命が生育できる状態が望ましいということです。そうした意味では、柴草を肥料として利用するため、これらを選択的に生育できるよう圧力を加えた…
江戸時代の場合、技術改良は拡大する米穀の需要に応えるため、寒冷地にも適応しうる稲の品種改良、栄養価の高い米穀を多く得るための肥料の改良、そして水田地の造成(新田)などの形で進行しました。その結果が、柴草山の拡大と、その衰退に軌一する金肥の…
刈敷は稲作のみでほぼせいいっぱいの情況だと思いますので、原理的には畑作にも使用可能で、農書にその類のことも出てきますが、水田以外にはあまり使用されなかったと考えられます。米が歴代王朝、政府によって租税化されたことは、その制作過程における労…
いわゆる百姓であることが、まさに柴草山の解釈から見出されると思います。ただし、一般の農業労働においては女性も重要な働き手ですので、必ずしも「桃太郎」昔話が、女性のジェンダーを家内労働に固定化して語ったわけではなかろう、とは思います。しかし…
うーん、ぼくの説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、「創世記」の記述をもとにキリスト教の責任を問うことは、リン・ホワイトが1960年代に指摘したことながら、それが誤っていることは、環境倫理の世界ではもはや常識です。ぼくも、10年以上前に編んだ…