2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧
銃弾の射程距離を延ばし命中率を高めるためには、口径をある程度小さくし流線型にするほうがよいので、この時期に口径が大きいのは、単にまだ技術は発展途上であったからでしょう。また、大きな口径の弾丸を撃ち出すためにはそれなりの爆発力が必要であり、…
通訳がいました。朝鮮王朝においては、通訳官養成所において日本語の書物が翻訳され、日本語の研究も行われていました。同時に日本でもハングルの読める知識人はおり、福澤諭吉門下の井上角五郎などが、ハングルによる新聞の発刊を援助しています。日本軍の…
「国民性」という不正確な言葉はあまり使いたくないのですが、確かに列島社会には、感情の爆発について抑制的なところがあるかもしれません。しかしそれは必ずしもよいこと、理性的なことを意味しません。むしろ事を荒立てない、問題を対象化するのを避けて…
もちろん、統一新羅以来の半島を仮想敵国とする考え方(それは例えば、天然痘の起源は挑戦であるなどの民俗知を生みだし、根付かせてゆく)の影響もあるでしょうが、直接的には、明治18年(1885)に発表された福澤諭吉の「脱亜論」や、その背景にある政治的…
現代的な価値観で当時の戦争行為をみると、確かに「狂気」が浮かび上がってきますが、それが当時の日本の戦争の常識だったのだ、と捉えると話は変わってきます。授業でも少しお話ししましたが、明治10年(1877)の基礎史料である『従征日記』を読むと、幕末…
1880〜90年代にかけて、日本では国際法の翻訳ブームが起こり、盛んに訳書が刊行され急速に理解が進んでゆきます。そのなかから、有賀長雄、寺尾亨、高橋作衛、中村進午といった、国際法を専門とする法学者が登場してくるのです。川尻文彦氏(「『万国公法』…
韓国では民主化の動きと連動し、1994年の100周年までには大きく研究が進展、史料も集成・刊行され、多くの研究書も出版されて、従来マイナス視されることの多かった東学党の再評価が進んだようです。その結果、2004 年に「東学農民革命参加者の名誉回復に関…
やはり、授業でお話ししたような司馬史観、別のいい方をすれば明治礼讃史観が極めて強い、ということでしょう。19世紀後半のアジアは欧米列強による植民地分割の舞台となっており、日本もいつその対象になってもおかしくなかったけれども、明治維新によって…
歴史的にみれば、自らを政治・文化の中心とみなし周囲を蛮族と捉えるエスノセントリズムは、まずは中国王朝において強烈にみられます。倭=日本も当初はその差別的視線にさらされますが、古代国家形成時、それ自体を自らのものとして小中華的な世界観を築い…
中世から戦国期に「首級を挙げる」ことと、近世から近代初期に「梟首にすること」とは、やや性格が違います。前者は人類学的にみれば首狩りの一種でしょうが、後者はみせしめの性格が強い刑罰です。日本軍の東学党農民軍に対する措置には、早くから「見せし…
上にも触れたとおり、幕府直轄化による和名化などは進められてゆきますが、アイヌの文化が全面的に破壊されていったわけではありません。アイヌ文化自体が交易のなかから形成されてゆくことを考えれば、文化とは常に変転を繰り返すものなので、和人やロシア…
少し授業でも触れましたが、場所請負制に関しては、平和裡に開かれ、アイヌに歓迎された漁場もあったようです。同時期のエトロフでは、1800(寛政12)に石高換算で2700石、翌年には5220石の魚油を産出し、それなりの利益がアイヌ社会にも流れたようです。同…
江戸幕府のあり方は、一応は各藩を統率管理する日本政府としての体裁を持っていますが、もとは戦国大名同士としての競合関係を基盤にしています。幕府の初発期、各藩に些細な瑕疵を認めて取りつぶしを行い、その武力・財力を削減していったように、彼らには…
松前藩は、これまでのシャクシャインの戦い、豊臣・徳川による朱印状・黒印状を背景にしての恫喝でもみてきたとおり、アイヌと交渉する和人の代表としての立場を持っています。いくら折り合いの悪かった飛騨屋とはいえ、和人がアイヌによって殺害されるとい…
まさに、徴兵工や慰安婦をめぐるいま現在こそ、その状態にあると思います。例えば慰安婦をめぐる朝日バッシングなどは、虚偽であった吉田証言に基づく誤報を朝日が陳謝したことに始まり、メディアでは産経がこれを攻撃、国家として国際的には慰安婦の問題を…
当時刊行されていた(すなわち当時の価値観で書かれた)カラフトの写真集や、毛皮養殖に関する技術書、皮革産業の歴史書などが存在しますので、それを手がかりに分析してゆくことが可能です。7月に行った国際会議での報告を準備してゆく際、僥倖であったの…
いちいち、同じ学生がどこを選んでいるかは調べないと思いますが(笑)、まったく同一ではないほうがいいですね。いろいろなところをみにいってもらう、というのがそもそもの意図ですでので、鋭意努力を。
『ヒストリア』は、まるっきり間違いを描いているわけではありませんが、見せ方に問題がありますね。秦氏とイスラエルの話は、史料的にはまったくのデタラメですので、あまりこだわらないほうがいいでしょう。そもそも「秦」字を太秦景教と結びつける説です…
まずは寛永12年(1635)、幕府の版図地図作成命令に応じて、松前藩が藩士村上広儀らに船で全島を一周させ、樺太にも別働隊を派遣して大勢を把握し、その成果を「正保国絵図」に反映させています。しかし画期的だったのは、授業でも触れた天明5〜6年(1785〜8…
歴史学者・政治学者のジェームズ・スコットが研究している、中国西南部から東南アジアの山岳地帯に住む少数民族たちは、焼畑農耕や狩猟を主な生業に移動を繰り返し、突出した首長を持たない平準化された社会を営み、文字も持たず、歴史や神話をも柔軟に改変…
もともと松前藩の側に中華思想的な夷狄観があり、アイヌに対する優越性が存在したことは確かです。そこへ東北の不作を契機とする財政の逼迫があり、藩政を維持するために抑圧的な態度を取らざるをえなかったのでしょう。環境史のところで言及しますが、実は…
アイヌの人びとに対する差別感情は、古代の蝦夷の人びとに対するそれに起源します。古代国家は中国王朝の中華思想を受け容れ、自らを世界の中心として認識し、周縁の人びとを夷狄として疎外し、その生活文化を中央=文明との対比において野蛮化してゆく。「…
どちらでも表記しますので、どちらも間違いではありません。
サルガンジュイとなった女性たちの父親は、三等侍衛、護軍参領、前鋒、馬甲、驍騎校、委署親軍校などとなっていますが、これらはほとんど禁旅八騎、すなわち北京において皇帝を守護する親衛隊の一員です。その娘たちにとって、辺境の有力者の妻になることは…