日本史特講:日本仏教史(16春)
否定はできませんが、必ずしもそうした理由によるものではありません。例えば奈良時代の孝謙・称徳など、仏教によって性の超越を目指そうとした女帝です。中国唯一の女帝である武則天も、道教を国教としていた唐王朝を中絶させ、仏教を奉じる武周王朝を打ち…
男性/女性だけではなく、レヴィ=ストロースが看破したように、人間の文化は二項対立を基礎に構造化されているのです。AとBが存在したとき、我々はそれがAであること、Bであることを認識するためには、AとBの違いから判断せざるをえません。同質性に…
結局差別というのは、その共同体もしくは社会において、多数もしくは権力の強い側が、少数もしくは力の弱い側を抑圧するなかで生じます。男性差別が成立するためには、男性よりも女性が権力を持つ共同体、社会を想定しなくてはなりません。現在に至るまで、…
それはもちろんそうです。しかし仏教に限らず、多くの創唱宗教は、出現当初は規制の宗教を批判するために、体制と一体化し弱者を差別するそのあり方を攻撃するものの、当の創唱宗教自体が巨大化し護教的色彩を強めてゆくと、一転して弱者を抑圧する側に回っ…
やはり、家父長制の成立と軌一していると思われます。中世から近世にかけて、実態的には強くなっていったはずです。研究史的には、柳田国男の「妹の力」論以来、このような見方が強固に受け継がれていき、ちょうど近代家族の成立に伴って女性への貞節・純潔…
この神がかりの女性/審神者の男性という組み合わせは、『日本書紀』仲哀天皇9年(神功皇后摂政前紀)3月壬申朔条に、神功皇后の事例として登場します。この場面はなかなか緊張感があり、仲哀に祟りを下し死に至らしめた神霊を探し出すために、神功皇后が…
北海道の入江貝塚から発見された縄文の女性の人骨は、幼い頃小児麻痺に罹患したらしく四肢の成長が阻害されていましたが、年齢は思春期後期に到達していました。すなわち、労働できない女性を、同共同体はその年齢になるまで活かし続けていたということです…
憑依とは、動物霊や死霊だけののりうつりを指す用語ではありません。神も含めた、何らかの霊的なものがよりつく現象、すべてが憑依です。もともと、人間によりつく神霊に、「神」だの「死者」だの「動物」だのとレベルを付けるのは、それこそ審神者の発想で…
道教も、在来の習俗や老荘思想、神仙思想などをもとに、江南地域などを中心に発達した創唱宗教です。漢の時代から、身体の修養や病気治療などを目的に展開し、時代・地域によって特色のある形式をみせました。貧苦した民衆の支持を集めたことで革命思想と結…
僧侶は、毎年夏に一箇所に籠り、経典などの読解・研究、精神修養を集中的に行います。これを夏安居といいます。もともとは、インドで雨期に当たる期間は外出しての修行や托鉢ができなかったためとか、小さな虫などが活発に活動する期間は意図せずそれらを殺…
まず第一に、天竺や西域、東南アジアなどから、長い道程を経て中国へ渡ってくるにはそれなりの体力が必要であり、そうしたことの可能な尼が少なかったことがあるでしょう。それゆえに三師七証が揃わず、正式な受戒を達成するのに時間がかかってしまった。ま…
いま、外国語の習得に四苦八苦している我々のことを考えれば、重要なことですね。それゆえに古代においては、僧侶の出自で圧倒的に多いのは渡来系氏族です。氏族内の種々の家系、氏族間のネットワークに、漢語の習得や仏教の研鑽に関するファクターがあり、…
恐らくどこかに同じような事例はあるのでしょうが、残念ながらまだ発見できていません。いくら草木成仏に主体性がないといっても、いくらおしなべて開発に肯定的であるといっても、「大木の秘密」にしろ「樹霊婚姻」にしろ、原型はすべて中国にあります。高…
確かに、まだまだ考えねばならない点があります。しかし、いわゆる大寺院の造営においては、木材としてある程度製材されたものが建築現場に送られてくるので、僧侶が伐採現場に居合わせることはほとんどありません。しかも、近江は大規模な林業地帯で、藤原…
確かに、学問で個人の内的な世界を考察するということは、非常に難しい問題です。「自分でさえ…」ということも、ご指摘のとおり、ありますね。しかし同時に、他から指摘されて初めて自分の気持ちに気づく、といったこともあると思います。個人の心理を研究す…
そうですねえ、樹木神は普通に話をするのですけれど。しかし、日本列島に最も広く分布する昔話である大木の秘密(ある巨樹を伐ろうとするが、切り口が翌日になると再生してしまっていて、いくら伐っても伐れない。疲れた木樵の一人が夜、木の下に宿っている…
あります。授業でも紹介したように、釈迦が覚りを開いた菩提樹は、仏教的真理の象徴です。これも授業でお話ししたかと思うのですが、かつて仏像による偶像崇拝がなかった時代には、菩提樹が仏の象徴としてストゥーパのレリーフに造型されていました。列島最…
「草木成仏」というと、確かに土や石などは指さないかにみえますね。より範囲の広い議論でいうと、「無情成仏義(非情成仏義)」ということになります。ここには、無生物の問題も含まれてきます。「草木国土悉皆成仏」「山川草木悉有仏性」もやはり天台系の…
『大乗玄論』のなかでは、仏法の真理が世界に遍満しているのであれば、あらゆる区別や分節は煩悩に遮られた人間の認識が生み出してしまうもので、本当には存在しない。成仏とは、「仏でなかったもの」が「仏になる」ことであって、そこにも差別や分節が存在…
列島在来の、地域的特徴を強く持った祭祀のあり方が、長い時間を経て解体されてしまったからでしょう。それは仏教が攻撃対象にしたのと同時に、神道の側の責任も大きいと思います。かつては各地の神社も生業とともに存在し、魚肉を供える祭祀、生け贄を奉る…
説話は、現在のような単なる読み物ではありません。それが唱導に利用され、寺院での絵解き、法会での法話、辻説法などを介して社会に広がると、浸透力のあるものは口伝いに拡散して各階層へ定着してゆきます。地獄の物語のように人間の暗い好奇心を刺激する…
この問題は重要ですが、私のなかで、未だ充分な考察ができていません。ただし、上にも少し書いたように、いわゆる磔刑の成立が、タツことと関係するのではないかと考えています。すなわち磔刑とは、神送りに準えて、人間の霊魂を他界に送るための所作だった…
立像もそれなりにありますが、坐像もありますね。坐像が多いのは、神像が仏像をモチーフにしたことと、天皇の臣下として衣冠束帯を着用に礼を示しているためです。また、顕現する意味でのタツはあくまで現れることであって、動作・状態としての直立のみを意…
犬が嘔吐物や排泄物を食べる場面は、多く絵巻などに描かれています。犬に対する穢れ観、忌避感の展開と関係がありますが、宗教性を表現しているわけではありません。あえていうならば、九相図において人の遺体を食い荒らしている犬と同じ、現実の残酷性や汚…
確かにそうですね。串刺しの残酷性については、何らかの作用によって歴史的に構築されてきたのだという視点のほかに、生理的な嫌悪感、危機感なども反映している可能性があります。地獄の責め苦については、とくにそうした問題を考える必要がありそうです。…
説話を読む場合には、それがいかなるモチーフを題材として、どのような物語りを語ろうとしているのか、説話の主体はいかなる個人/集団で、ストーリーには原型があるのかないのかなど、その複雑な重層構造を多角的に分析してゆく必要があります。その内容の…
いえいえ、たとえ近代国家、現代国家が行うことでも、残酷行為は常に「野蛮」との観念で表象されます。例えば、日常の残酷事件でも「人間のやることではない」などと形容されますが、それは「人間」を文明の象徴として持ち出してるからです。残酷=野蛮な行…
以前に配付資料に引用したとおり、「飛鳥浄御原宮に御宇しめしし天皇の御世、甲戌の年七月十三日」という日付が出てきます。天武天皇二年(673)、と考えられています。そうして現状の記録がなされたのは、『出雲国風土記』勘造の天平五年(733)。本文に、…
ご指摘のとおりですね。上に答えたこととも関連しますが、殺生功徳論によっては罪業論は解消されませんでした。むしろ罪業論が強固であったために、功徳論が意味を持ったのです。屠殺業者・皮革業者は、権力にとって、社会にとって必要な存在でした。権力は…