2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

授業でお話のあったような差別問題は、非常にセンシティヴな問題であるため、私たちが大々的に介入して、抵抗活動を行うことは、逆にナンセンスであるように思える。そこで私たちができることは何かと、授業を通して考えてきたが、やはり「彼ら」について深く知ることこそが最も重要ではないかと思う。実際に、この授業を受けるまで知らないことが多く、差別の実態に衝撃を受け、感情的になることが多かったが、彼らのことを深く知り、無意識レベルに差別していることに細心の注意を払い、この授業を通して学んだことを、自らの研究や思考に活かすこ

ありがとうございます。春学期、不充分ながらも懸命に授業をしてきた甲斐があります。確かに、まずは知ることが重要です。しかし、いったん知ってしまえば、きっと何もしないわけにはゆかなくなるでしょう。実際の政治・社会運動でも、もちろん研究を通じて…

日本国内での差別が、戦後こうした形でなされていたことに驚いた。そして逆に、70年でここまで倫理観が育ったことにも驚いている。

うーん、そうなのでしょうか。ぼくには、逆に倫理は崩壊しているように思われてなりません。あるいは、表面的な体裁は整えられていても、内実は極めて酷いことになっているのではないでしょうか。ヘイトスピーチを主導してきた人種差別団体のトップが、東京…

現在、『この世界の片隅に』など、反戦を想起させるような作品がよく取り上げられている気がする。新安保法案などから、社会が反戦ムードに傾いたのだろうか。それとも、戦争から70年以上経ち、我々が先の大戦と向き合えるようになった、客観視できるようになったからなのだろうか。

戦争映画のテーマの変遷を辿ることは、日本や世界の人々の戦争観を探るうえで有効だと思います。ぼくが育った1970〜1980年代は、ベトナム戦争後の冷戦期で、世界は常に核戦争の危機に直面していました。50年代以降、例えばハリウッド映画は、連合国側を正義…

広島では原爆に関することが平和学習と題して行われ、クリアランスをせず、できる限り克明に原爆を伝えようとしてきました。最近では、資料館の原爆人形を除去するなどのクリアランスも行われていますが…。

そうでしょうか。例えば、授業でも扱った基町・相生通りなどは、かつて存在したバラックが一掃され、清浄な公園・河川沿いの遊歩道として整備されています。これはやはり昭和30〜40年代、平和的復興の名のもとに、広島市内の各河川沿い、広島城の御堀端など…

震災後の日本はやたら愛国心を煽るような言説が増えたように感じますが、大きな災害の後は差別やクリアランスに繋がる言説が広がるものなのでしょうか。

その傾向は強いようです。人々が災害の前にうちひしがれ、不安を払拭し自信を取り戻そうとする過程で、保守的になったり、あるいは〈大きなもの〉に依存することで、救済されようとしているのでしょう。また、災害によって長い期間にわたって社会に蓄積され…

有島武郎が遺したアイヌに関する本とは何でしょうか、教えて下さい。

未完成の絶筆となる「星座」という作品です。有島が未だ札幌農学校の学生であった1900年、友人たちと千歳川沿いを旅行し、北海道旧土人保護法のもとで苦しめられるアイヌの姿をみたことが、執筆の動機となっていたようです。保護法の立場に基づいて北海道経…

訳書も原書も読んだことがないので偏見かもしれませんが、宮本常一がクロポトキンに傾倒したのは、クロポトキン自身の思想でしょうか。それを訳す際、大杉栄は自分の思想と混同しなかったのでしょうか。

クロポトキンについては、当時原書で読んだ人も少なくありませんでしたので、大杉栄が意図的に自らの思想を忍び込ませたということはありません。しかし面白いことに、宮本常一は『相互扶助論』を大杉の思想として受容したようです。同訳を収録した1964年刊…

「人はみんなマイノリティである」という話から、マイノリティの線引きがどこからなされるものか気になった。

何かと何かを区別する線引きは、常に相対的なものです。マイノリティは直訳的には少数派ですから、ある情況においてはマイノリティであった人々が、別の条件のもとではマジョリティになるということも、もちろんその逆もありえます。しかしこの授業では、マ…

南京事件など、未だに問題になるのはなぜなのか。自虐史観にはうんざりする。慰安婦に謝罪するなど、プロパガンダに踊らされたバカのすることだ。

うーん、春学期この講義を行っていちばん受講生に身に付けてほしかったもの、自身の価値観を相対化・客観化する態度・能力をあなたが手に入れられなかったのは、ぼくの力不足のせいというべきでしょう。これからあなたがしっかり勉強して、このリアクション…

上智のゼミで、史料と方法論を教えてくれるゼミはどこですか?

どこのゼミでも、学生さんからの要望があれば、きちんと応えてくれるはずです。それほど頭の固い教員ばかりではありません。

論文などの、結果重視の日本社会は、なかなか変えられない部分でもあると思います。こうした体制を崩すことはできないのでしょうか。

まずは、変えるために何ができるか考え、ひとつひとつ実践してゆくことが必要でしょうね。

現代歴史学の理想論と、上智の史学科で教わる歴史学はずいぶん離れていると感じます。実証主義の方法しか教わっていないので、理論的・方法論的多様性はないと思います。 / 実証主義世代の教授陣から教わっても、我々もまた同じことを下の世代に伝えてしまうことになるのではないか。

耳が痛いですね。しかし、それを「主義」にするかどうかは別として、実証が学問の基本であることは確かです。大学の学士課程では、まずはその実証をきちんとできるようにする、その訓練が大切なのです。またこの授業のように、たくさんの情報は発信されてい…

ピーター・ゲイの、〈歪み〉を含んだ主観が歴史の多様性を実現しうるという考えは納得できますが、歴史を考えるうえでどこまでその〈歪み〉を認めるかという線引きは必要だと思いました。 / 主観という歪みが過去のある局面を明らかにすることもあるという話だったが、「正しい」主観と「間違った」主観とは、一体何なのだろうか。

誤解があるかもしれないのは、主観とは我が儘勝手、何を考えても云ってもよいということではありません。個別の主体のものの見方・感じ方を指しますが、これを可能な限り客観的なものへ近づけてゆこうとするのが、とりあえずは学問の基本的態度というもので…

言語は、スピーゲルのいうように過去と現在の我々を繋げてくれる道具だが、現在の解釈と過去の意図が違ってきた場合、どのように過去に近づけてゆけばよいのか。

理論だけを追いかけてゆくと次第に議論は単純化してしまい、袋小路に至りがちになってしまいます。理論は常に、現実のデータの収集・分析と対になっていなくてはいけません。何がいいたいかというと、答えは過去の厖大なテクストとの格闘のなかにあるという…

言語論的転回の歴史学批判に対して、さまざまな学者からの回答・反論を紹介して下さいましたが、それらのうち、一般の歴史学者から最も支持されている有力な見解はどれなのでしょう。

授業でも扱いましたが、一般的には、a)歴史叙述は物語りであるが単なる虚構ではないこと、b)歴史学には反証可能性があり学問としての体裁を持つこと、などが定説的〈反論〉でしょう。しかしこれらは、結局、言語論的転回が問題にした「言語の世界構成機能…

ラカプラは、〈歴史叙述=記述的な過去の再構成〉という見方について、「現実を再現=表象しようとする際の虚構に無自覚で、最も常套的な物語構造に依存している」点を批判したとのことですが、彼はこのようなあり方をまったく否定したのでしょうか。

ラカプラの批判は、歴史叙述の物語り性に対する、歴史学者自身の無自覚に向けられています。つまり、歴史叙述を文章による過去の再構成であると無自覚に考え、それゆえに事実性ばかりを当たり前のように主張して、本来多様なはずの過去が言語によって分節さ…

この世界は常に言葉によって規定されている、ということは、私もときどき考えます。結局、いま、思考している私は私が認識した世界に基づいて思考している以上、他者とわかりあえないのではないだろうか、と思うのですが、歴史学と直接関係ないかもしれませんが、先生の考えを伺いたいです。

確かに、他者との理解を完全に達成することはありえません。しかし、他者が理解しえないがゆえに他者なのだと考えれば、それは当然のことといえます。もし他者を完全に理解できたとすれば、論理的にはそれは同一化・一体化以外にはありえず、その時点で他者…

現前する世界は実体ではなく、観る者によって違うという話を聞いてから、自分のいる世界はいったい何なのかという、よく分からない疑問でいっぱいになってしまい、そのなかで歴史を使うということが結局どういうことなのか、こんがらかってよく分からなくなってしまいました。

高名な哲学者や思想家が長年議論し続けている問題ですので、そう簡単に答えは出ません。とにかく、言葉に対してもっと敏感になること、周到な注意を要することだけは、しっかり自覚的に行った方がよさそうです。個人的には、もし世界が言葉によって構築され…

吉見裁判の件、歴史学の専門家ではない政治家によって、研究の成果が云々されることに疑問を感じました。結局、学者は権力の前では無力なのでしょうか。どうにか権力に立ち向かえるようにならないでしょうか。

自然科学、社会科学、人文科学の各学界が、垣根を越えてしっかり団結することが大事なのだろうと思います。しかし現実には、諸科学の分野によって、国から多くの補助金を受け、それで研究が成り立っているところもあるので、なかなか難しい。補助金問題は、…

先日、現代美術をしている友人と戦争を美術にすることの可不可をめぐって議論になりました。現状の社会のなかで、批判を含んでいると明確に分からない形で戦争に関わる遺物(軍服など)を提示することについて、先生はどう思いますか?

ぼくも基本的には、きちんと批判的に扱う文脈ができていない形で、とくにファッション的に優れているとか、格好がいいとか、興味本位で提示するあり方には反対です。とくに、その背景にあるものが隠蔽されたり、正当化されたりするようなもの、例えば日本に…

この授業を取ってから、今まで自分が学んできた近代国家日本がいかに幻想にまみれていて、本当の姿からかけ離れていたかを痛感しました。探せば日本よりひどい国はあるかもしれませんが、他がひどいからよいという問題ではありません。こう考えるのは理想主義的で、現実では通用しないのでしょうか。

いえ、そんなことはありません。事実、歴史認識という意味でなら、東日本大震災より前の90〜00年代のほうが、日本の情況は現在より民主的でした。10年代、とくに東日本大震災以降、あたかも関東大震災が戦時体制を準備したことを繰り返すかのように、国権の…

当時の考え方に、「人道的」という側面は欠如していたのでしょうか? それとも帝国大学であったために、人種に対する研究が行われていたのでしょうか? 江戸時代から通じる「野蛮さ」のようなものが、まだ残っていたのかもしれないと思いました。

「人道的」という言葉の意味、感覚が、現代とは違っていたというほうが、正確でしょうね。近代の日本社会=帝国日本においては、とにかく国権の占める位置が大きく、個人の意志や倫理よりも、そうした意味での公の価値観、秩序が優先されていたのです。帝国…

「植民地支配の最先端であった北大」という云い方がなされたが、北大をはじめ東大や京大は、帝国日本においてどのような役割を果たしていたのだろうか。

北海道大学は、1876年に北海道開拓の指導者を養成するために設けられた札幌農学校を母体に、東北帝国大学農科大学を経て、1918年に北海道帝国大学となったものです。しかし上記の「開拓」がアイヌへの抑圧を含んでいたことは授業で扱ったとおりで、例えば189…

誰もしたことのない分野や発展的な内容の研究を行うとき、そうした調査におけるレッドラインとはどれほどの位置にあるものなのだろうか。

自然科学の場合は、残念ながらその〈限界線〉は極めて低く設定されてしまっています。冷戦体制下では、東西両陣営が相手を威嚇するため、あるいは殲滅するための兵器開発に血眼になっていましたが、恐ろしいことに、その時代のほうが現代と比べ、科学の〈進…

今日のレジュメに、東学農民の反乱を鎮圧した部隊の史料が3つ挙げられていたが、いずれも四国のものであったのはなぜでしょうか?

あとの授業でも少し紹介しましたが、東学農民殲滅戦の専当部隊となった後備歩兵独立第19大隊は、当時大本営が置かれていた広島からも近い、主に四国4県から召集された兵士でした。指揮官は大隊長 南小四郎少佐、この人は長州出身で、幕末の諸戦争から伊藤博…

インターネットもない時代で、どうやって東学党は大規模な人数を集められたのですか?

うーん、そういわれると、80年代以前には大規模な人間の会集が困難だった、という話になってしまいますが、もちろんそのようなことはないわけです。人間社会には種々の情報伝達の方法があり、最も原始的ともいうべき「うわさ」や「口コミ」も、情況によって…

陸羽132号が東北や北海道で試験を繰り返したとありましたが、陸羽132号の導入で東北の農業が変わったりしたのでしょうか?

それ以前とはまったく異なる情況となりました。現在、東北と北陸には日本最大の穀倉地が広がっていますが、これは陸羽132号の開発に端を発するものです。同米は、メンデルの法則を用いた交配によって作られた日本初の品種で、冷害に強く品質の良い亀の尾とい…

帝国日本のクリアランスでも整理できなかった火田民が、1960〜1970年代の朴正煕政権ではなぜ整理できたのか。

他の共同体からドロップアウトした火田民について、代わりの田畑を与えたり、火田を熟田にしてよいとの方針もあったのに、なぜなくならなかったのだろうか。

火田民は北朝鮮でも存在していたのですか。

授業でお話しした、「火田民の多い朝鮮半島の北部」が現在の北朝鮮です。地図をみれば分かりますよね。