2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

崇峻暗殺について、『魏志』に載る司馬昭の4代皇帝曹髦殺害に酷似している気がします。何らかの影響があったのでしょうか。

『書紀』は、引用された漢籍や音韻、漢文の文法などから綿密に解析してゆくと、中国人が撰述したと考えられるα群(巻14〜21・24〜27)、漢文に長けた日本人が編纂したと考えられるβ群(巻1〜13・22〜23・28〜29)、巻30の三つに分けられます。崇峻紀は巻21で…

「軽皇子」が2人いたことについては少々驚きました。同名にすることに、何か特別な意味はあったのでしょうか。

中国文化の避諱を導入することで、次第に同名を付ける/称することに抵抗が芽生えてくるようですが、七世紀までの段階ではとくに注意は払われていなかったようです。ちなみに講義では触れませんでしたが、県犬養宿禰三千代が前夫美努王との間に生んだ橘諸兄…

なぜ渡来人はあれだけ受け容れられ重宝されたのに、蝦夷は敵視されたのでしょう。この差別の理由は、単に先進的知識・技術の有無にあったのでしょうか。 / なぜ朝鮮諸国を服属国とみなす必要があるのか分かりません。

これは、古代国家が依拠した中華思想に拠るものです。中華とはそもそも文化の中心、秩序の核を意味しますが、中国王朝の世界観においては、その周囲には文化の行き渡らない野蛮な異民族が存在しました。いわく、北は北狄、東は東夷、南は南蛮、西は西戎。こ…

県犬養三千代の系図の話で、近親婚が非常に多かったように感じたのですが、発達障害を持つ子供が生まれたりはしなかったのでしょうか。

そうした子供は確実に生まれていると思われますが、史料には明確に記されていません。ただし、生まれつき身体が虚弱だったり、精神に問題を抱えている天皇の記事はときおり記録にみられます。それでも維持されねばならない血統があったわけで、生物が従うべ…

孝徳朝の難波長柄豊碕宮には、新しい宮城構造があったはずですが、まだ大極殿は設置されていなかったのですか。

いわゆる前期難波宮には、確かに大極殿とおぼしき施設が認められます。北側の内裏と南側の朝堂の中間に位置する建物で、天皇(大王)が出御し政務・儀式に臨むに相応しい場所です。しかし問題は、現在確認できる遺構は朱鳥元年(686)に焼失した廃絶時のもの…

天皇が殺されることは歴史上ほとんどありませんが、それほど困難であったということですか?

現実的な困難、政治的な困難、そして平安期以降においては精神的な困難が伴ったでしょう。大王を〈現御神〉天皇とするイデオロギーは天武・持統朝に形成され、奈良期を通じて喧伝されてゆきます。祭政一致の核が殺害という形式を採らずに交替を繰り返し、一…

献上されるのが山猪である必要はあったのでしょうか。

食肉の歴史からいうと、日本列島の場合、鹿と猪が縄文期より代表的な狩猟対象となっています。どちらも文献に神の使者として登場しますが、鹿が人間に幸いをもたらす性格が強いのに対し(春日神や鹿島神の場合が典型的)、猪は災禍を将来する役割を帯びてい…

なぜ崇峻天皇は蘇我氏を嫌っていたのだろうか。崇峻を擁立したのは蘇我氏だったのでは。

崇峻と蘇我馬子との政治路線の対立が原因であったと考えられています。暗殺記事のすぐ前に書かれている、『書紀』崇峻天皇四年八月・十一月条によれば、崇峻は欽明天皇の頃に新羅によって滅ぼされた倭の朝鮮経営の拠点「任那の官家」を復興しようと図り、新…

京都に「太秦」という地名がありますが、これは秦氏と関わりのある場所なのでしょうか。

そうです。秦氏は講義でも説明したように、元来は血のつながりのない雑多な渡来人の群集を、朝廷が「秦氏」と呼称しまとめたものです(地域ごとに職保有技術の共通するものを集めた可能性はあります)。しかし、その統括者=族長には幾つかの血統があり、時…

この時代は渡来系の人々が重要な役職に就いて政治にも関わっていたようだが、当時の倭人に国家を乗っ取られてしまうといった危惧はなかったのだろうか。

天智朝に亡命してきた百済王族が迎えられるまで、渡来系氏族は実務官人の地位に留まっていましたので、渡来人に征服されるかもしれないという危惧は一般的ではなかったようです。ただし、『日本書紀』には、乙巳の変の現場から自分の宮へ逃げ帰ってきた古人…

阿倍氏や中臣氏は役職に基づくウジ名ですが、それが付けられる以前に名はあったのでしょうか。

集住している土地の名前から部族名が生じてくる、というのが一般的なあり方だったでしょう。朝廷の職掌に基づくウジ名を持つ氏族は、その役割が国家運営と関わるものであるほど新たに編成された可能性が高くなります(氏族というと自然発生的なニュアンスが…

個人的に阿倍氏のことをまったく知らなかったので、もっと背景を知りたいと思いました。

講義でも触れましたが、もともと大王の供御に奉仕していた氏族で、常に側近に位置するその情況、食料獲得の役割上海上交通などの技術に秀でていたこと(海洋系氏族の安曇、海部などと同族的関係を結んでいる)などから、王権の直轄軍を指揮する役割も帯びて…

乙巳の変の立役者が他にいるのだとしたら、なぜ『日本書紀』は中大兄や鎌足を祭り上げているのでしょう?

孝徳朝に中大兄と鎌足の政治的立場が急速に高まり、『日本書紀』はこの二人の政治的立場を受け継ぐ王朝が編纂してゆくことになるからです。国史編纂を始めた天武は、壬申の乱で天智の長子大友皇子を滅ぼしていますが、政治路線としては改新政府のそれを受け…

『日本書紀』の記述でのみ軽皇子と鎌足の主従関係を想定するのは心許ない。もっと他に史料はないのだろうか? / 改新政府が決裂したという件がよく分かりませんでした。

『日本書紀』白雉四年是歳条には、中大兄が当時宮の置かれていた難波から飛鳥へ移りたいと奏上したものの、孝徳天皇が許さなかったため、皇祖母尊(皇極)・間人皇后を連れて強引に飛鳥へ戻ってしまった。公卿や官人たちもその後を追っていったので、孤立し…

中臣鎌足が同族を味方に付けるために摂津に退去したとの説についてですが、それは鎌足自身が朝廷における入鹿の座を狙っていたからなのですか。

さほどの政治的実権を持たなかった当時の中臣氏に、そのような野心があったとは考えられません。同族のネットワークをまとめる作業のうちに、軽皇子や阿倍氏、蘇我倉家の策謀に絡め取られていったのではないでしょうか。

天皇(大王)家の家系図はとても複雑ですが、この時代は継承順位というものは決められていたのでしょうか。

以前にも触れましたが、この時期は大兄制というシステムが機能していて、母親を同じくする王族グループの長子が大兄と呼ばれ、彼らに基本的な王位継承権があったようです。なかでも、父や母が大王経験者である人間は有力でしたが、これらの条件を前提に年齢…

北條より:秀郷流武家故実の継承者としての西行について

先週冒頭でお話しした件、関心を持ってくださった方も多かったようですね。もともとお話しするつもりでなかったものを、つい口が滑って語ってしまったので、グダグダで申し訳ありませんでした。もし「もっと知りたい!」と思った方は、拙稿「〈中心なるもの…

「大織冠伝」について詳しく教えてください。

『藤氏家伝』は、天平宝字4年(760)頃、始祖顕彰を図った当時の朝庭の首班藤原仲麻呂によって編纂されました。現在残っているのは「大織冠伝(鎌足伝)」「貞慧伝」「武智麻呂伝」で、藤原氏の伝というより、仲麻呂に至る血脈の正統性を主張する「恵美家」…

蘇我倉山田石川麻呂の今後の行く末、蘇我氏のその後について説明してください。

たぶん講義で言及すると思いますが、石川麻呂は大化5年(649)に謀叛を疑われて攻められ、自殺します。しかし、その後も蘇我氏が絶えてしまったわけではなく、壬申の乱に至るまで朝廷の中心は蘇我氏で占められており、蘇我赤兄・果安といった石川麻呂の弟た…

ドラマのなかで、入鹿が飛鳥板蓋宮に入ってきたとき、その他の人々がひれ伏していました。あの動作には何か意味があるのですか。

今年の春学期に「日本史概説」という講義で扱ったのですが、跪伏礼という、朝庭で用いる礼儀作法を表現したものでしょう。跪伏礼については、すでに『三国志』魏書/東夷伝/倭人条(いわゆる「魏志倭人伝」)に「大人の敬するところを見れば、但だ手を打し…

ドラマで、蝦夷が儀式に百済の使者が出るとか出ないとか話していたのはどういうことですか。/ 入鹿の剣を取る俳優たちが仮面を付けていましたが、あれは何を象ったもので、どうしてお面を付けていたのですか。/ 大王の御前で流血事件を起こすことに問題はなかったのでしょうか。/ なぜ入鹿の勢力はあっさりと滅ぼされてしまったのでしょう。/ 蘇我氏が大王家と姻戚関係を結んでいたとのことですが、後の藤原氏や平家、源氏などとはどう違うのですか。

これらのことについては、来週以降の講義で詳しく扱います。今日観ていただいた冒頭のシーンでの蝦夷と渡来人(船恵尺という実在の人です)の会話は、三韓進調の儀式が、中大兄らによって仕組まれた罠であったことを意味しています。次回お話しするように、…

今日見せていただいたドラマは、何というタイトルでしょう。/ 今日見た映像資料は、どのようにすれば手に入るのですか。

2005年の正月に、「古代史ドラマスペシャル」と銘打ってNHKで放映された、『大化改新』というドラマです。NHKの公式ホームページへリンクを張っておきます。このページにも載っていますように、すでにDVDも発売されています。恐らくレンタルショップでも観る…

自然との関わりを描くジブリアニメは、その意味で、日本以外の国々ではどのように受け止められているのでしょう。

講義でも触れるつもりですが、例えば自然/人間の関係を二項対立的図式で捉えた『もののけ姫』は、かえって欧米での上映の方が宮崎駿の意図をストレートに伝達できたようです。あの作品のテーマは、自然/人間の力関係が決定的に塗り替えられることにより、…

ジブリアニメに対する個人的な疑問なのですが、なぜ宮崎作品にはお婆さんキャラが多く、逆にお爺さんキャラは少ないのでしょう。何か特別な意味があるのでしょうか?

宮崎駿も、以前は頻繁に男性老人キャラを出していたように記憶しています。初監督作品である『未来少年コナン』でも、主人公コナンの育ての親であるオジイ、ラナの祖父ラオ博士が重要な位置を占めていますし、『ルパン三世カリオストロの城』でも城の庭丁の…

『カムイ伝』というマンガに、いわゆる「非人」とされる人々が牛肉を食べている場面がありました。そのような事実は本当にあったのでしょうか?

この問題についてはいずれ詳しく扱いますが、私が研究史の整理を行っている『ケガレの文化史』(森話社、2005年。学部図書、図書館地下1階210.04:Ke184)という本を紹介しておきましょう。古代の肉食は、祭祀や儀礼に伴って寺院や神社で行われましたが、そ…

道鏡事件をでっちあげとする学説の詳細を教えてください。

道鏡事件は、奈良時代の正史『続日本紀』に記されていますが、当該部分は称徳天皇の言葉である宣命体の詔と、その間を埋める説明文とで構成されています。前者は奈良時代後半の同時代史料ですが、後者は桓武朝の『続日本紀』編纂時に書かれたものです。両者…

教科書には多くの改訂が必要といいますが、その編集には多く大学の教授たちが関わっているはずです。なぜ問題は解決されないのでしょう?

もっともな質問ですね。最新の研究情況というのは一方で「また覆るかも知れない」というリスクを抱えていますから、高校までの日本史教育では「無難なところ」で止めておこうという規制が働くのでしょう。しかし歴史的知識に「無難なところ」などないのであ…

私は神学部ですが、聖人伝や奇跡の物語は、当時の人々の世界観や人間観を表したものだと学びました。聖徳太子についても同じことがいえるでしょうか?

聖徳太子は、まずは国家によって日本を演出するために創出され、ほぼ時を同じくして、日本の仏教界でも(中国・朝鮮に匹敵する日本仏教の発展を示すために)利用されていったということです。純宗教的な聖人伝と比較すると少し世俗的ですが、中世になると、…

聖徳太子が実在しなかったとすれば、冠位十二階や十七条憲法は誰の業績なのでしょう。

冠位十二階や十七条憲法自体の存在意義が問われているわけですが、当時の政権の首班を担っていたのは蘇我馬子であり、推古朝の政治を運営していたのは彼であったと考えられています。大山さんは、アカデミックな世界で唯一、蘇我氏が大王であった可能性にも…

大山誠一氏が聖徳太子を否定したのは、どのような根拠に基づいているのでしょう。

大山氏の論点は多岐にわたりますが、その基盤は、太子の業績を伝える『日本書紀』と「推古朝遺文」(法隆寺系統の仏像銘文等々)の徹底的な史料批判に基づいています。例えば有名な十七条憲法は、『礼記』『詩経』『論語』『孝経』『文選』などの漢籍を駆使…