日本史特講:古代史(15春)

◎12で、なぜ晋侯の病が不節制が原因だと結論づけられたのでしょうか。 / ◎14で、晋侯が女性を近づけるうえで節度を保てと諫言されているのは、親族の女性であっても近づけてはいけないということでしょうか。

◎12では、まず晋侯の不行状に関して種々の噂があり、家臣たちがそれを憂える情況があったということです。史官や卜官の発言が機能していないという点は、彼ら官職の質が低下したという問題がもちろんあるのですが、君主への配慮から諫言ができなかったのだと…

◎10で、胞衣を埋める場所が「竹の多い地」と出てきたが、古代中国では、医療と水、もしくは治水と竹は何か関係があったのでしょうか。

ぼくもこの点は、少し疑問に思っていました。しっかり根拠のある回答ではないのですが、竹の象徴性というと、やはり長大に伸びてゆくこと、常に青々としていることから、長寿や永遠性ということになります。竹の多い地に胞衣を埋めるというのは、子供の長寿…

◎5の『産経』の逸文で、どうして女性が右で男性が左と決められたのか、疑問に思いました。

陰陽五行説に基づくものです。男性/女性は、それぞれ陽/陰に属しますが、左/右もそれぞれ陽/陰に属するのです。ゆえに、同一カテゴリーの男性=左、女性=右が結びつくのです。

西洋においては産業革命、学校の出現により、小さな大人と考えられていた「子ども」が「子ども」として捉えられるようになりましたが、古代中国において「子ども」の概念はあったのでしょうか。

古いところでいうと、前漢・馬王堆漢墓出土の『五十二病方』という医書に、嬰児の病に対する処方が載っています。病には、子供特有のもの、女性特有のものなどがありますので、その身体の構造や特徴に即して、独自のカテゴリーとして成り立ちやすかったもの…

中国では世界や人体の概念が共通していた、とのことですが、広い国土でどのようにして概念を共有していたのでしょうか。

確かに。なかなか難しい問題ですが、例えば気のエネルギーが循環することで世界の成り立ち、動きを説明してゆく考え方は、中国の世界観のなかではかなりプリミティヴなものに属するということです。儒教や道教、その他諸子百家の思想なども、このようなもの…

東日本大震災における東北への批判について、歴史学的にどのように反論したのですか?

震災直後の東北に対しては、1)繰り返し津波の来る水辺などに住むのが悪い、2)祖先からの災害の教訓を受け継いでいないので自業自得だ、という批判がありました。まず1については、縄文時代の最新研究を通じて、列島における定住生活が水辺と山麓の往復…

実践的過去とは、徳川家康やビスマルクのように、「賢者は過去に学ぶ」ということと同義とみなしてよいですか。

いわゆる「偉人」や「英雄」における歴史の継承を語ろうとすると、その言説は容易に権力の側へ引き寄せられてしまいます。むしろ一般の人々が、日々を生きるためにどのような「歴史」の援用を行ってきたのかが、実践的過去の射程にある問題です。例えば、賢…

『医心方』に書かれている処方を通じて、無名の人物や他に名前の残っていない人物を知ることができる、とありましたが、それを知ることでどのようなことが分かるのですか。

まず、他のどこにも残っていない人の存在、その経験が記されているということは、それだけで過去がより豊かになるわけですから、史料的価値が極めて高いということになります。医書に処方が記されているだけで、Aという人物がNという病に苦しみ、医師に相…

日本の医療の歴史において、ハンセン病などに関しては、治すのではなく隔離し、根絶させようとする医療法もありました。この場合は、医療と歴史との関わりはどうなのでしょうか?

ハンセン氏病への対処の仕方も、過去からの知識と技術の積み重ねになります。しかしかかる例は、その「積み重ね」にも限界や誤りがあったことを明確に伝えてくれます。その「積み重ね」がどこで誤り、なぜ歪んだ方向へ向かってしまったのか。医書やその他の…

歴史は過去と未来を繋げるものであるという考え方に、大いに共感しました。具体例として医書が挙げられていましたが、他にも当てはまる例はあるでしょうか?

授業でも少し触れましたが、占いの本、卜書などが面白い例だと思います。例えば、10世紀中国の各種資料を内包する敦煌文書には、占い関係の書物も多数残っています。そのなかには、現在のいわゆる人相見、相書と呼ばれる書物もあり、顔の形状や各部の特徴、…

かつて史学とひとつだったという医学は呪術的な要素も強いですが、現代に専門化が進むことで分化をしたものの、古代ではひとつだったという学問は他にもあるのでしょうか。

『周易』上経/賁卦/彖伝には、「天文を観ては以て時変を察し、人文を観ては以て天下を化成す」とあります。聖人は、天文をみて時節の変化を読み取り、人文をみて人民の情況を察しこれを教化成育する。つまり、世界の情勢やありかたをしっかり把握してゆく…

朝鮮の医学には、学術的価値はありますか。

もちろん、大いにあると思います。そもそも古代の日本へ漢方医学が伝わったのは、公式には朝鮮半島を介してです。三国時代の医学史料は残念ながらあまり残っていませんが、高麗、朝鮮王朝のものは豊富に存在します。ぼくはこのあたりまだあまり詳しくないの…

病の捉え方について、「観察」は書かれないのでしょうか。脈や顔立ち、事に当たっての反応など、漢方の先生はよく観察するようですが。

もちろん、顔の色、むくみなどの状態、目の色・動きなどなど、多くの処方において、病の特定をする際には顔の状態の観察をします。脈診も、早くから発達し、専門の経典ができている技術のひとつですね。顔については、やがて医術と占術とが融合して、顔相を…

葬儀の際にも、出産のときのような儀礼がさまざまにあるのでしょうか。また、現代は出産に関する儀礼は残っていませんが、何か理由があるのですか。

葬儀は、だんだんと斂葬・埋葬に収斂してゆきますが、例えば殯(モガリ)が存在した頃には、長期の場合1年をかけて子供・近縁者・家臣などの誄奉上が行われ、生きているときと同じように、妻が遺体に奉仕するといった手順が行われていました。現在でも中国…

川に遺体を流してしまうという話を聞いて、ガンジス川に葬儀として遺体を流す光景を思い浮かべました。何か関係があるのでしょうか。 / 死体を捨てる場所は、当時、暗黙の了解として決まっていたのでしょうか。衛生問題にもなりそうですが。

以前何らかの形で書いたと思うのですが、人間の葬法は、それぞれの地域、自然環境とそれに根ざした文化の相関関係のなかで、まったく異なる様相を持っています。森林では土葬、樹木葬、風葬などが盛んで在り、海辺や海上では水葬が多く採用されます。インド…

『権記』の27〜28日条で、「亡」「没」を使い分けていますが、何か意味があるのでしょうか。

字義的には、そもそも「亡」字は死者の象形であり、「没」は人が水に沈む状態を表現しています。『権記』段階ではそれほど厳密に使い分けてはいないだろうと思いますが、そもそもは葬儀の形式、他界観などの関係で使い分けをすることがあったのかもしれませ…

逆子の習俗について、何か特徴的なものはありますか。

妊婦の禁忌に関連する習俗で、「○○すると逆子が生まれる」などの話はよくあります。異常分娩に関する「言い訳」のひとつであり、難産や死産を納得しなければならないとき、「こうした禁忌を破ってしまったんだから、仕方がない」と諦める工夫のひとつと思わ…

「八月子」ですが、『権記』に妊娠した時の記録はなかったのでしょうか?

残念ながら、出ていないのです。それがはっきりしていれば、話が早いんですけどね。

前近代において、障がいを持つ人々はどのような生活を送っていたのだろうか。

差別と崇拝の両義的扱いをみることができますが、崇拝が一般社会からの疎外を意味するとすれば、やはり差別の構造のなかに位置づけられていたとみられるでしょう。共同体や国家の制度には、もちろんこれらを補助する、現代でいう福祉的な要素も存在しました…

男性は、出産に対してどのような感情を抱いていたのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、一般的にいわれるのは「恐怖」ということですね。これはマーガレット・ミードの分析ですが、男性は自らの機能にはない女性の出産能力に畏怖を感じ、だからこそそれを崇めつつ差別してゆく。世界の多くの地域で、女性そのものや月…

『古事記』では、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲはイザナギから生まれて来ますが、男が出産に携わっていると考えられないだろうか。

『古事記』には、やや男性上位的視点がみうけられます。イザナミが亡くなったあと、黄泉国から帰ったイザナキが禊ぎを通じてアマテラス・ツクヨミ・スサノヲを生み出すのは、ケガレの強大な力がプラスの方向に転換される両義性を示すとともに、男性のみで生…

イザナミ・イザナキの婚姻の問題ですが、話しかける順番だけではなく、回り方の問題もあったと思います。これはどのような意味を持つのでしょうか?

大樹や山、柱の周囲を回るというモチーフも、広くアジアの兄妹婚姻神話に出てきます。回り方は、イザナキがイザナミに、「汝は左から回れ、私は右から回る」という宣言をしますので、タブー破りには繋がってきません。しかし、左と右のどちらを尊貴とするか…

イザナミ・イザナキに関するアジアの類話について、それは各地域で自発的に生まれたものですか、それとも互いに影響し合っていたのでしょうか。

やはり影響しあっていますね。少数民族の神話では、兄妹婚姻によって生まれてきた子供たちを、それぞれ自民族と、隣接する民族の祖とする話型も存在します。交流によって話型が伝播し、それぞれの地域の自然環境と文化との関わりのなかで変質し、定着してゆ…

伏羲・女禍の半人半蛇という姿が、葛洪らの蛇に対する感覚と矛盾するように思いました。

文化というのはおしなべて重層的であり、また多様ですから、例えば蛇に対する認識、感性・心性にしても、ある単一な視角のみでは捉えることができません。例えば、蛇に対する認識がマイナスのもののみであったなら、これをモチーフにした龍などが、漢民族の…

当時の国司層を除いて、貴族が海をみる機会はあったのでしょうか。

確かに、国司として任地へ赴く人間以外、平安貴族は、平安京のなかからまったく外へ出なかったような印象がありますね。しかし、そうした貴族の生活にも、折に触れて旅に出る、海をみるといった機会もなくはなかったのです。とくに10世紀以降になりますと、…

紫式部は、医術=呪術をめぐる観念連合について、書物を通じて知ったのでしょうか。

彼女はかなりいろいろなものを読んでいますので、やはり書籍でしょうね。当時一流の有職故実に関する知識人、藤原実資が彰子を訪ねてくる際には、必ず紫式部が対応したといわれる存在です。散文の物語りのなかに種々の漢籍的要素を分解し、忍ばせている可能…

木が語るのではなくて木に宿る精霊が語るのだというのは仏教的考えの表れ、とのことですが、これが道教の考えを示すとすると、また何か変わってくるのでしょうか。

仏教では、「主託神」という概念になります。アニミズムの本当に原始的な形では、動物そのもの、植物そのものを神と捉える段階があると思うのですが、それから少し展開すると、動物は人間と同じ姿をした精霊が毛皮を被っているもの、樹木はやはり人間と同じ…

途中で仰っていた、「カラスの鳴き声で行う占い」がとても興味深かったです。詳細を教えていただけないでしょうか。

以下、昨年の『上智史学』に載せた例会報告の要旨になります。もっと詳しいことが知りたければ、研究室をご訪問ください。東巴経典の実物もおみせします。「環東シナ海の動物表象をめぐるラフ・スケッチ―東巴経典『以烏鴉叫声占卜』をめぐって―」 二〇一三年…

伯夷と対座した十人の犬が、金を賭けて双六をしたというのが気になった。当時の双六とはどのようなものなのだろうか。

鎌倉頃の絵巻『長谷雄草紙』に、羅生門の鬼が紀長谷雄に双六の勝負を挑む、というモチーフがあります。双六はいまのバックギャモンのようなもので、やはりお金を賭けたりして行われるので、ときどき禁令が出ています。以後や双六といったゲームの類は、勝負…

中島敦の「山月記」でも、主人公が虎になりますが、中国では虎はどのような位置づけをされた動物なのでしょうか。 / 結局、踵の有無というのは、どのような根拠なのでしょうか。 / このような話でよく虎や犬が出てきますが、身近な動物であったということですか。 / 自分たちの祖先を虎と考えていたトーテミズムは、転病という虎に変身してしまう病と、何か関係があったのでしょうか。

虎については、山岳に暮らす少数民族にとっては、やはり神であり祖先である存在ですね。ただし、農耕民化した漢民族の間では、虎に襲われる「虎害」が深刻化し、やがてこれらをほぼ絶滅に追い込むような掃討作戦を実行してゆくので、畏怖され忌避されました…