2015-01-01から1年間の記事一覧
残念ながらありません。ぼくは宗教上は無神論者なので、そうしたフレームで世界をみているからでしょうね。
同じ性質を持つものと考えてよいですが、前者は『華厳経』、後者は『大日経』などに説かれる存在で、いわば依拠する経典、教学のあり方が異なるのです。
神聖なるものは具体的には表現できないために樹木や法輪によって表していた、これはやはり、明文化された法律というより一種の共同体規制であったと思われます。神像を多く造形していたギリシャ文化の影響で、聖なるものを擬人化した仏像が造られるようにな…
人柱は供犠の一種ですが、神に生け贄として捧げられるわけはなく、柱として城や橋などの建築物を支えるものです。よって、人体自体を柱とする、その生命をもって困難な工事を完遂させるという残酷さを伴います。かかしはヒトカタでしょうから、宗教的にみれ…
トトロに登場するのは、クスノキですね。かなり巨大になる常緑高木ですので、やはり神木に祀られる場合の多かったものです。ちなみに、樹木の洞から根の世界へゆくという発想は、古く『古事記』上/神代に出てきます。ヤソガミたちの迫害を受けたオオクニヌ…
神話で語られるたいていの人類の起源は、神の子、もしくは似姿を持つものといった性格があり、それが尊厳の根拠のように位置づけられます。すでに授業でお話ししたように、狩猟採集社会のアニミズムにおいては、精霊は人間と同じ姿のものが、クマやトラなど…
祭祀の種別や情況、それの斎行される時代・社会によって違いがありますが、例えば樹木を柱化する祭儀の過程で、樹木の生命そのものともいうべき樹神が、建築物の守護神的存在へと転化されてゆくといったことがあります。天皇が日常的に起居する宮殿を鎮祭す…
これは面白い質問です。というのは、自然を大切にしているかにみえるいわゆる「もったいない」という発想は、自然を資源としかみなくなってゆく一過程と捉えられるからです。神に対して何かを供える場合には、自分にとって最も大切なものを供えなければなら…
一般的には、神聖な領域の出入り口を画する門を意味しています。神聖な領域と一般の空間とは、目にみえない境界で隠されており、一定のセオリーを順守しなければ「越境」することができないと考えられていました。参道はその唯一のルートで、鳥居はそれを段…
領域国家成立以前から、権力の象徴だったわけではありません。例えば縄文時代には、授業でもお話ししたように死と再生のサイクルが自然そのものとして崇められていましたが、その表現のひとつとして、生殖器信仰が盛んでした。男根や女陰を継承した石器を立…
正保の国絵図、そして郷帳の詳細な記述は、近世初期に至る検地の結果です。現在の研究成果では、これまで画期的と思われていた太閤検地の成果について、それほど詳細かつ厳密なものではなかったとする見解が多くなってきています。しかし、近世初期には、小…
中世後期から広がってきた草肥が一般的でした。下肥なども使用されていましたが、とてもすべての水田に行き渡るには至らなかった、それほど水田の規模が巨大になっていたのです。次回の授業でもお話ししますが、しかし草山・柴山も水田化されてゆくことで刈…
地球上のあらゆる生き物は、動物も植物も菌類も、何らかの形で環境から栄養を搾取していますので、それが過度な破壊を生む契機となる場合はあります。しかしたいていの場合は、その規模は環境の回復力の及ぶ範囲に収まるので、循環のなかに解消しうることが…
時期によって多様ですが、とうぜん材木を得るためならば林業関係者、草山・柴山を造るためならば農民です。安土桃山の大規模開発期は、大名や寺社から依頼を受けた林業、建築の職能を持つ人々が伐採に当たっていました。農村付近の山で、村で住宅その他に用…
確かに、古代に土地の神聖性がすべて失われてしまうわけではありません。しかしそれは、次第に人間から自然環境への畏怖を奪い、「コントロール可能なもの」との意識を醸成してゆく。その最初の画期が、現御神天皇を擁した古代の開発にあった、というわけで…
もしそうだとすると、その先生が誤りを教えたことになりますね。現在、史実として確認されているのは前期難波宮=飛鳥時代の難波長柄豊碕宮と、後期難波宮=奈良時代の難波宮ですが、両者はともに「難波宮」と呼ばれることも多く、同じ場所に建設されていま…
『竹取物語』は平安時代ですので、柴草山化も伸展しておらず、近畿全域がはげ山になっていたわけではありません。物語の舞台については諸説がありますが、京都西側の桂地域か、あるいは丹後の山地地帯でしょう。都郊外のこれらの地域には、竹林が濃密に分布…
それは誤解です。授業内で温暖化といったのは、通常の気候変動によって起きる温暖化です。古気温曲線の変化でみたように、万年千年規模の長期スパンでみますと、気温は温暖化/寒冷化の間を大きく変動しているのです。前々回にみたように、中世前期までの温…
古代には、天皇の住まう空間、利用する空間の荘厳を保つため、狩猟場や陵墓などの伐採が禁じられた例がありましたが、植林の技術がある程度確立され、一般化してゆくのは江戸時代になってからです。中世までは、果樹や麻、楮、漆などその他産業に用いる樹木…
むしろ、大王が天皇になること、すなわち自然神(神祇の区別でいえば地祇に当たる)を超える存在であることが、開発と対になって展開されたというべきでしょう。その典型が藤原京の造営です。これは日本最初の本格的な都城で、極めて大規模な土木工事によっ…
よく誤解されるのですが、アニミズムは、現在の環境倫理とイコールではありません。基本的には、狩猟採集社会の人間のあり方を正当化する方向で機能するものです。例えば、ユーラシア北部から北アメリカ北部に及ぶ北方狩猟民の間は、〈動物の主神話〉と呼ば…
上でも少し書きましたが、森林面積が回復しているといっても、戦後の植林事業の展開とその荒廃によって、手入れなしに放置された山々がかなり荒廃している状態です。列島の森林行政は、かなり酷いものです。きちんと予算をあて、しっかりした計画を立てて、…
国家というものが誕生してしまうと、その発展のために、自然環境はおしなべて「素材」化され、破壊されがちです。20世紀は開発の時代と呼ばれ、多くの国々が「開発主義」を掲げて大規模な破壊をなし、その結果環境問題が深刻化してきました。逆に、国家化し…
古墳の占地については、現在充分に解明されているわけではありませんが、時代や地域、被葬者の地位などによってさまざまな条件があったようです。それらに制約されて築造されるため、例えば限定された地域に一族や首長・陪臣の墳墓が密集したり、兵站ではな…
やはり、自然環境に根ざした第一次産業が衰退し、また変質してしまったからでしょうね。現在農業に従事している人々も、近世以前と同様に太陰暦を意識し、身体化して生活してはいないでしょう。自然環境と人間との接触が、あらゆる面で直接的ではなくなって…
手足が作られるようになるというより、神霊への供献物を載せる特殊器台が発展した円筒埴輪から、人物や動物などの形象埴輪が造られるようになったということでしょう。人物埴輪は、多くが古墳の被葬者とそれに近似する側近、采女、護衛する衛士・武官、馬と…
主に自生回復と思われます。第二次大戦の戦時供出により、列島の山林は再び大規模伐採を経験しますが、その後の高度経済成長期には林業活発化のため無計画なスギ林の植林が大規模に展開し、結果として現在、多くの山林の後輩や花粉症の流行を招いてしまって…
誤解されているという意味ならば、それこそ「社叢」、すなわち神社の鎮守の森や寺院境内の森林でしょうね。現在は「社叢学」という言葉もあり、神道学や神道史の一部の人々から、鎮守の森を太古より続く原生林のように主張する意見が出ています。しかし、こ…
英雄の異常出生譚のひとつで、うつぼ船型などといわれる神話素、話型です。中空になった船に入った母子や赤子が漂着し、育てられて英雄や救世主になってゆく。モーセのほかにも、ギリシャ神話のペルセウス、中国夏王朝の建国の英雄伊尹など、数多く存在しま…