立教大学環境論(15秋)

授業で話しきれなかった項目の配付資料です。記載のURLからダウンロード可能です。随時アップしてゆきますので、ときどき覗いてみてください。

・動物論 http://gg0.xyz/rQJh

アニミズムの観点で、モノに霊魂を吹き込むという点でアニメーションなのか、実際に実物のものを映す、普通の映画がリアルなものであるのか、どちらがより現実味を出しているかは難しいと思いました。

これも深いですね。結局、リアルということは、実写であるのかアニメであるのか、という区別にはよらないのかもしれません。以前、フルCGのアニメーションが流行したとき、その動きにリアルさを与えるために、実際の俳優の身体に座標入力装置を取り付け、動…

環境から受け取ったアニマがアニメーションで表現されるという視点では、人間が負債感を持っていることは前提となるのか、疑問に思った。

深い質問です。人間は自然環境から多くのこと・ものを贈与されつつ、そのほとんどについては意識すらしていないと思います。例えば、生存の贈与の第一条件たる空気について、酸素を吸いながら、世界に負債感を持つ人はほとんどいないでしょう。贈与の質・量…

宮崎駿は、人間と自然の共生や対立を描いた作品が多いが、教育的観点で描いているのか、ただ題材としてそういった観点で描くことが好きで描いているのか、疑問に思った。

最後の授業でも話しますが、もちろん本人の嗜好の問題は否定できませんが、環境問題に真剣に向き合わざるをえない未来の子供たちのために何をすべきか、いまどのようなことを示して考えてもらうべきかは、常に念頭にあるようです。そうした使命感が、常に彼…

先生は、神様や霊的なものをみたことはありますか?

残念ながらありません。ぼくは宗教上は無神論者なので、そうしたフレームで世界をみているからでしょうね。

毘盧遮那仏と大日如来はどう異なるのでしょうか。

同じ性質を持つものと考えてよいですが、前者は『華厳経』、後者は『大日経』などに説かれる存在で、いわば依拠する経典、教学のあり方が異なるのです。

ブッダが菩提樹で表現されていた当時は、いまのイスラム教のように、ブッダを人として表現すること自体が禁止されていたのでしょうか。それとも慣例的なものだったのでしょうか。

神聖なるものは具体的には表現できないために樹木や法輪によって表していた、これはやはり、明文化された法律というより一種の共同体規制であったと思われます。神像を多く造形していたギリシャ文化の影響で、聖なるものを擬人化した仏像が造られるようにな…

「人柱」というのも、今までは単に柱に形が似ているからと考えていましたが、それだけではなく柱を崇める気持ちから来る、とても神聖なものであるのかなと感じました。かかしはちょっと意味合いが異なるのでしょうか…。

人柱は供犠の一種ですが、神に生け贄として捧げられるわけはなく、柱として城や橋などの建築物を支えるものです。よって、人体自体を柱とする、その生命をもって困難な工事を完遂させるという残酷さを伴います。かかしはヒトカタでしょうから、宗教的にみれ…

斎槻の話を聞きながら、『となりのトトロ』で、メイが初めてトトロに会うとき、大木の根本の割れ目に落ち、その先で出会ったことを思い出しました。あの大木も、斎槻だったのでしょうか。

トトロに登場するのは、クスノキですね。かなり巨大になる常緑高木ですので、やはり神木に祀られる場合の多かったものです。ちなみに、樹木の洞から根の世界へゆくという発想は、古く『古事記』上/神代に出てきます。ヤソガミたちの迫害を受けたオオクニヌ…

樹木を神として崇めていた日本で、人間が樹木から出てきたと考えていたのは、人間を神と同義のものとみていたということでしょうか。

神話で語られるたいていの人類の起源は、神の子、もしくは似姿を持つものといった性格があり、それが尊厳の根拠のように位置づけられます。すでに授業でお話ししたように、狩猟採集社会のアニミズムにおいては、精霊は人間と同じ姿のものが、クマやトラなど…

柱の材料になる樹木そのものに宿る霊的なものと、人工物としての柱に宿るものとでは、性質の相違があるのでしょうか。

祭祀の種別や情況、それの斎行される時代・社会によって違いがありますが、例えば樹木を柱化する祭儀の過程で、樹木の生命そのものともいうべき樹神が、建築物の守護神的存在へと転化されてゆくといったことがあります。天皇が日常的に起居する宮殿を鎮祭す…

木のまな板をかんなで削ってもらったら、若返ったかのような顔になりました。神社の柱をまるごと替えるのはもったいないと思います。削ってきれいな色にして、細すぎて建物を支えられないというくらいになるまで使ってから交換する、ということは試みられなかったのでしょうか。

これは面白い質問です。というのは、自然を大切にしているかにみえるいわゆる「もったいない」という発想は、自然を資源としかみなくなってゆく一過程と捉えられるからです。神に対して何かを供える場合には、自分にとって最も大切なものを供えなければなら…

神社にとって柱は重要であると仰っていましたが、鳥居は何のために設置してあるのでしょうか。

一般的には、神聖な領域の出入り口を画する門を意味しています。神聖な領域と一般の空間とは、目にみえない境界で隠されており、一定のセオリーを順守しなければ「越境」することができないと考えられていました。参道はその唯一のルートで、鳥居はそれを段…

男根的なものは、領域国家の成立以前から、権力の象徴だったのでしょうか。

領域国家成立以前から、権力の象徴だったわけではありません。例えば縄文時代には、授業でもお話ししたように死と再生のサイクルが自然そのものとして崇められていましたが、その表現のひとつとして、生殖器信仰が盛んでした。男根や女陰を継承した石器を立…

川上から流れて来たものを育てるという話が中国や日本でみられるとのことですが、『旧約聖書』出エジプト記にも、モーゼが川で拾われたというエピソードが出てきます。何か共通点はあるのでしょうか。

英雄の異常出生譚のひとつで、うつぼ船型などといわれる神話素、話型です。中空になった船に入った母子や赤子が漂着し、育てられて英雄や救世主になってゆく。モーセのほかにも、ギリシャ神話のペルセウス、中国夏王朝の建国の英雄伊尹など、数多く存在しま…

巨木がもともと生えないような場所・環境の人々にとって、自分が「植えたもの」に対する信仰はあるのでしょうか。

講義でお話ししたように、柱を樹木の代用にする文化は各地にありますが、それも樹木の生えていることが前提ですからね。しかし、現在のペットなども、人間が完全にコントロールすることができないように、ドメスティケートされた動物や植物も、完全に文化の…

人祖誕生神話などにおいて樹木や水のモチーフが多く登場し、物語の重要な位置を占めていますが、これは授業で選択的に採り上げられているからでしょうか、それとも神話全体においてそうなのですか。

もちろん、樹木や水ばかりが重要なのではありませんが、世界の神話一般のなかで、割合普遍的に語られることの多いモチーフと思います。それはやはり、水にしても樹木にしても、人間が生命を繋いでゆくうえで欠かせない存在だからでしょうね。多い地域ではそ…

地域によって信仰される樹木の種類は、何によって決められているのでしょうか。 / 人々の間に、樹木や太陽を信仰する必要がどうあったのか気になります。

この講義の初めのほうで触れた狩猟採集民の話、今回は縄文のクリの話、あるいは竹の話でも触れたように、自らの生活や生業と密接に関わる動植物が、信仰の対象となる場合が多いようです。つまり、それが世界に存在しなくては自分たちが生きられない、いうな…

なぜユグドラシルにはトネリコが選択されたのだろう(常緑樹の方がよかったのでは?)。それぞれの地域で神聖な樹木として選択されるものには、どのような理由があるのだろうか。

セイヨウトネリコは、確かに落葉樹ですね。スカンジナビア半島周辺には広く自生していた樹木ですので、北欧の人々にとって馴染みの深いものであったことは確かでしょう。また、アジアにおける竹のように回復力が強く、10年程度のスパンで伐採できたので、多…

琴は神迎えに使用されていたとのことだったが、だとすれば、サンタル族におけるフィドルも同じような意味を持っていたのだろうか。

可能性はありますね。フィドルがどの程度の時期にサンタル族へ入ってきたものかは分かりませんが、それほど古くまで遡ることはできないでしょう。フィドル以前は、別の伝統的弦楽器が語られていたものと思われます。

木地師とサンカは同じものですか、異なるものですか。

サンカについては、三角寛によってフィクショナルに創作されてしまった面が強く、実態はよく分かっていません。日本列島の非定住民・漂泊民については、かつて一部の民俗学者が構想したように列島の原住民であるわけでも、古代・中世から連綿と存在した「ま…

「斑竹姑娘」は『竹取』の再話にみえますが、前者は樹木婚姻譚となっており、後者と対照的です。これは、アレンジする際にたまたまそうなったのでしょうか、それとも起源が異なるのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、日本の『竹取』も、樹霊婚姻譚的想像力を背景に成立したといってよいものだと思います。『竹取』では、「斑竹」における息子の役割が、翁と天皇とに分割されている印象です。翁は姫をみつけて育てる役割、天皇は恋人的な役割を担…

たいていの地域で近親相姦はタブーですが、神話ではなぜ多く語られるのでしょうか。

人類学的理解において、近親相姦のタブーは、女性の交換を実現するためのものとみられています。小集団で移動生活を行っていた時代の人類にとって、同一集団内での交配を繰り返すことは、劣性遺伝のみならず、単純に数量的縮小を招く怖れのある行為でした。…

そもそも神話とは何なのだろう。神話とは誰かが作り、それが広まったものなのか、それとも人々の生活のなかで伝えられてきたものをまとめたのだろうか。

世界そのもの、あるいは世界を構成する諸要素の起源と、現在に至る過程を物語ることで、個人なり、何らかの共同体なりの生活を規制するのが、そもそもの神話のあり方です。一般的には「古代に語られたもの」を指す場合が多いのですが、現在では、中世には中…

これまでは農業=自然=神だと安直に考えており、それらに回帰することが持続可能性なのだと思ってきたが、今までの講義を受けてきて、そうではないかもしれないと考えるようになった。だとすると持続可能性とは何なのか、よく分からなくなってしまった。先生のお考えをお聞きしたいです。

持続可能性自体の意味を問うことが、まず重要です。一般的にいわれる持続可能性とは、人間が現在の文明の水準を維持するために、自然環境をいかに破綻なく使用してゆくか、その「持続」を指示しています。すなわち、人間の利益に立った利己的なものでしかな…

ハイヌヴェレ神話には、3という数が象徴的に使われている気がしましたが、これはヴェマーレ族が3を神聖視していたからなのでしょうか。

3は、数学的には次元を確定する要素とされ、中国では紀元前の殷王朝の時代から、卜占で使われる聖数となっています。後に天・地・人を象徴するものと意味付けられ、それこそ天下を表す鼎が3b本足であるなど、多くの表現がみられます。しかしハイヌヴェレ神…

サンタル民話では7人の兄弟が出て来ますが、これは7という数に何らかの宗教的な意味があるのでしょうか。

仏教では8という数字が、悟りを象徴するものと考えられ、例えばブッダ入滅後の救世主である弥勒菩薩が出現するのは、「56億7千万年後」、すなわち5→6→7→8=出現といったあり方で語られます。もともとは、方向を意味した聖数の基本である4が、さらに細…

サンタル民話に出てくる「やめて、やめて!」のフレーズは、結婚をするときの問答のようだと思いました。サンタルの人々は、実際にこういうやり取りをしてから結婚しているのではありませんか。

そうかもしれません。中国西南の少数民族では、結婚相手を選ぶ際の歌垣、結婚式などでも、男女の掛け合いの歌が、性的表現や笑いを交えて行われますね。そのあたりのサンタルの民族を充分調べられていないのですが、可能性はあると思います。

中世の修験道の山伏たちが修行をした神体山はごく一部の奥山で、人間の開発の手を免れていたということでしょうか? また、そういう山は村落周辺のはげ山との視覚的比較から、より神聖さが増していたということは考えられますか。

山伏の修行するような場所は、かなりの奥山です。平安期には、古記録に修験道の人々の話題が出て来ますが、彼らも鞍馬や熊野など、かなり奥地の峻嶮な場所を修行の舞台としています。それらは、水田化と柴草山化の波からは逃れる場所にあったと思われます。…

富裕な百姓の存在が、貨幣経済の浸透が原因ではなく、肥料の使用の可否が原因だとの見解が面白かったです。どちらの説の方が有力なのでしょうか。

前者は通説、後者は肥料の問題から再考を要求した新説ですね。貨幣経済の浸透の問題は否定できないでしょうが、肥料の件はこれまであまり指摘されてこなかったことですので、今後重要視されてゆくでしょう。また、「金を支払わないと充分な肥料が得られない…