日本史特講:古代史(08春)

臨終行儀の際、五色の糸を指に巻くのはなぜですか。五色であることに意味はあるのでしょうか。

青・黄・赤・白・黒の「五色」は、仏教の儀礼や言説のなかでよく用いられますが、起源としては中国の五行思想に基づくものと思われます。それぞれ木・火・土・金・水に対応します。五行は世界を構成する基本要素ですが、仏教では神聖なものの象徴です。五色…

忌日の「七」は、何を表しているのでしょう。キリスト教では完全さを意味しますが、仏教ではマイナス・イメージのような気がします。

仏教では「八」が満数で覚醒を表すので、「七」はその過程、一歩前の状態を示すものとしてよく使われます。しかしそこに基準や法則はなく、プラスの価値付けもマイナスの価値付けもされていません。忌日の七は、中陰を抜けた段階=八のプロセスを表すに過ぎ…

『六道絵』の閻魔王庁幅で、赤子を捨てた女性の足が纏足になっていました。清朝などでは、纏足は「女性の美しさ」の点で語られていますが、これが罰則のようなイメージで描写されているのはなぜなのでしょう。

纏足が流行した背景には、もちろん「美しさ」もありますが、それは表層に過ぎず、実際は女性を家庭へ束縛することにあったと思われます。また、美は性と不可分ですが、纏足の場合にも局部の筋肉の発達と関連づけて語られました。東アジア仏教は女性を穢れた…

『六道絵』には、復活した死者が赤ん坊になっている絵はみられましたが、子供の死者自体は描かれていなかったように思います。賽の河原などのイメージはいつ頃出来上がるのでしょう。

紹介しましたように、閻魔王庁幅には母を訴える赤子が描かれていますので、『六道絵』にも子供は登場します。しかし、無垢で悪業を犯していないというイメージからか、大人と一緒に責め苦に遭っている絵は出てきませんね(そういう意味では、人間の被害者で…

『六道絵』の閻魔王庁幅の細部にわたる描写は、経典などの書物だけからイメージされたものではないように思います。絵師たちは、何かもとになる絵図を参考にしていたのでしょうか。

その通りですね。唐末から宋代にかけて、十王裁判の様子を描いた「十王図」が制作されるようになり、それが日本へも将来されるのです。『六道絵』の閻魔王庁幅のモチーフ・構図は、明らかにそれを踏襲しています。

ご馳走や御礼目当てに、偽の冥界の死者が現れることはなかったのでしょうか。

面白いですね。さあどうでしょう。ぼくは勉強不足で分かりませんが、地獄の死者に化けた人間が悪さを働く、という話はどこかにありそうですね。今度よく調べてみます。

『捜神記』で、泰山で労役に服していた者が「土地神になりたい」といいますが、それはなぜでしょう。

話のなかで死者である胡母班の父が明確に答えていますが、自分の故郷の土地神になれば一族の者が酒食を欠かさず供え、礼拝してくれるので、満ち足りた生活を送ることができるのです。これも、中国の現実の官僚世界を反映した表現かもしれません。

授業では「地獄と極楽」と表現されていましたが、現在のように「天国と地獄」というのはキリスト教の影響でしょうか。

一般的にはそういわれています。つまり、近代以降のいい方ですね。かなり新しいものでしょう。神祇信仰には天国はありませんし、仏教の「天人道」は、キリスト教の天国に相当する極楽とは異なります。そこに暮らす天人は確かに人間より高位であり、楽の多い…

西洋古代、キリスト教では「徴利禁止法」がありましたが、日本の寺にもそのような法令があったのでしょうか。

古代国家は仏教を支配のイデオロギーとして称揚しますので、当初は氏寺も含めた全寺院に財政的援助を行いますが、やがて国家公認の寺院や官営寺院のみを保護するようになってゆきます。その転換点のひとつになるのが霊亀二年(716)の寺院併合令で、豪族が利…

「3」という数字は、他にも三位一体や籤を3回引いたりさまざまなところで出てきますが、別段特別な意味は持っていないのではないでしょうか?

世界の習俗に「3」を表示するものが多いのは、ひとえにこの数字が世界を表す基本だからです。数学的にも物理学的にもそうなのですから、かかる知識は古くから判明していて、古代宗教にも反映しているのです。それ自体が特別な意味づけなんですね。三位一体…

九字護身法で、空間に目がたくさん出来て、鬼が惑わされるというのが面白かった。鬼は目の向こう側に来ようとするのですか? / 網の目状にするということは、都が条坊制によって網の目状になることと関係があるのでしょうか。

そうですね、自分に襲いかかってくる邪霊の目を惑わす、という方法です。目は古代中国から呪力の宿るものと考えられていて、戦場には「媚」という呪法を使うシャーマンが駆り出されていました。鬼霊が目に反応するのもそういう認識の反映でしょう。ところで…

蘇民将来信仰は現在でも残っているそうですが、イメージが湧かないのでぜひ写真でみてみたいです。 / 蘇民将来は、最近話題になった蘇民祭と何か関わりがあるのでしょうか。

まさに、黒石寺の蘇民祭も蘇民将来に基づくものですね。裸の男たちの争奪戦の対象となる蘇民袋のなかに、講義で紹介した蘇民将来札が入っているわけです。札、護符には、講義で紹介した藁作りの簡略なものからしっかりした六角形の角柱状のものまで、いろい…

日本でも三途の川の渡し銭というのがありますが、紙銭はこれと関係があるのでしょうか。そもそも、あの世でもお金が取られるというのは、なんだか納得できません。

繋がりがある習俗だと思います。「地獄の沙汰も金次第」という諺には、もちろん日本の実情も反映しているでしょうが、そもそも中国的冥界が中国王朝の官僚社会に基づいて構築されたことを引きずっているのでしょう。ただし、貨幣がアジア世界に誕生した殷王…

陰陽師が都状を書くときはどのようなときでしょう。貴族に頼まれて書くのですか。

まさにそうですね。陰陽師は貴族に招かれて泰山府君祭を行い、そこで都状を読み上げます。都状には、府君の管理する死籍(人間の寿命を管理する帳簿)を書き換えてくれるよう祈願する文面が書かれます。『朝野群載』には、永承五年(1050)十月十八日付の後…

『霊異記』の鬼が牛を食べるのは、古代中国で祀廟に牛が犠牲として供えられていたことと関係あるのでしょうか。 / なぜ冥界の使者は、豚や鶏ではなく牛の肉を欲しがったのでしょう。 / 食事を与える以外にも、鬼と交渉を可能とする方法はあるのでしょうか。

指摘のとおり、恐らくは三牲の習俗に基づくものでしょう。豚や鶏でないのも、三牲のなかで牛が最も高級な犠牲だったからです。しかし仏教の内的論理からすると、講義でもお話ししたように牛が人間に近い生命とみられていたことや、奈良〜平安期に度々流行し…

四天王と閻羅王とでは、立場に上下関係などあるのでしょうか。

四天王はインドで習合した方角神で、仏教の守護神=天部として須弥山に住んでいます。閻羅もインドの冥界の王ですが、中国で泰山府君と習合し、本来、現世での救済を本義とした仏教のなかではやや特殊な位置を獲得します。両者には確固たる上下関係はないよ…

六斎日は、いつも以上に神に祈願する日というよりは、物事を慎まなければならない日といった捉え方なのでしょうか。

そうですね。この問題については、以前、『日本仏教34の鍵』(法蔵館、2003年)という本に簡単に解説したことがあります。上智の図書館にもあるので参照してください(182.1:N7111)。また、六斎日の信仰は、中国の六朝時代に民間で確立され、隋の時代に日本…

地元の栃木県に国分寺町という町があります。東京にも国分寺市があるし、日本各地にあるのでしょうか。四天王と関係があるとすると、日本に四つあるのですか。

国分寺は、原則として、古代の行政区画「国」のひとつひとつに設置されました。私も執筆している別冊歴史読本『日本の寺院』(新人物往来社、2003年)の189〜191頁に、全国の遺跡等の一覧が掲げてありますので参照してください。ただし、現時点でこの表がい…

大化の薄葬令で、国家的に墓地を定めるとありましたが、国営の墓地を作ってそこにしか埋葬させないということでしょうか。

これは逆に、埋葬してはいけない場所を明確に規定するという発想ですね。例えば公道のうえ、周辺など、墓地造営が景観を悪化させることのないよう配慮しているのです。古代における景観は権力のありようと密接に結びついていて、単に美的感覚の問題ではあり…

首長霊の継承儀礼を行ったあと、古墳の被葬者は何も力を失ってしまうのでしょうか。

これについては複数の説があります。ひとつは中国の魂ぱく分離概念に基づくもので、魂は新首長に引き継がれ、はくが被葬者の肉体に留まります。この両者を宗教的エネルギーの源泉と考えるのがひとつ。ほかにも、

無量寿経や盂蘭盆経など、仏教のことについて解説した詳しい本はありますか。

そうですね。仏教経典に関する概説は巷に溢れているのですが、最近、「これはぜひ!」というものが見受けられないのが現状です。経典に関しては岩波文庫、中央公論社の「大乗仏典」シリーズなど各種翻訳も出ていますので、そちらに当たった方がいいかもしれ…

阿弥陀如来の四十八願のなかで、第十八願が最も重要だという話がありましたが、いわゆる十八番(オハコ)などの言葉と関係あるのでしょうか。

あるという説、ないという説の両方がありますが、直接的には9代目市川団十郎の演目に由来します。ちなみに、第十八番は「暫」であったようです。

古代においては、浄土教以外の仏教は、すべてそれ以降に受け入れられていったのでしょうか。

祖先供養に関わる浄土系の経典も早いのですが、ほぼ同時に護国三部経たる『金光明経』(後、新訳の『金光明最勝王経』が利用)『法華経』『仁王経』の依用が進み、大部を誇る『大般若経』への注目も高まりました。これらは経典の持つ哲学的な内容より、写経…

古墳の終焉とともに寺院が増加したとのことですが、その財源はどのように確保されたのでしょう。税金でしょうか。

仏教の普及と定着を図りたい国家は、推古天皇二年二月の三宝興隆詔以来、各氏族の氏寺創建を積極的に援助してきました。しかし、天武天皇九年には、二、三の国大寺以外は官による管理を終了し、食封も30年を限度に停止することにしたようです。推古朝から持…

寺院が祖先祭祀の機能を持ったことは分かりました。しかし寺院の中心は、舎利の埋納されている塔から金堂へと変わってゆくはずですが、それは祖先崇拝の考え方が弱まっていったことを意味するのでしょうか。

必ずしもそうとはいえません。仏塔が釈迦の古墳と考えられたにしても、そこにおける信仰対象は自身の氏族の祖先ではなく、その来世的幸福を保証してくれる仏教的神格です。仏教を取り入れた時点で、まず祖先祭祀から祖先供養への変質が起こっているのであり…

仏教と在来宗教との融合は、仏教を受容した国ならどこでもあることかと思いますが、日本でこんなに早い段階から進んでいるとは思いませんでした。神社と寺院が混ざったような施設は、いつごろからあるのでしょうか。 / 在来信仰と仏教との結びつきは、古い時代には必ずしも強くなかったように思います。民衆レベルではどのように捉えられていたのでしょう。

文献から確認できる神仏習合の最も早い例は、『日本霊異記』上巻七縁に描かれた三谷寺で、白村江の戦いの後に「神祇のために」建てられた伽藍と書かれています。また、『藤氏家伝』下巻「武智麻呂伝」では、霊亀元年(715)、藤原武智麻呂によって気比神宮に…

〈描く〉ことで鎮祭するという宗教的実践は、中国から伝わってきたものなのですか。

これは恐らく、仏教の修行のひとつで浄土教にも強くみられる〈観想行〉に由来しています。詳しくは最近書いた、「礼拝威力、自然造仏」(『親鸞門流の世界』法蔵館、2008年)を参照してください。仏や浄土の世界を現実にあるかのように思い浮かべる、そして…

郎女が海のなかでみつけた白珠を、途中で放してしまうのはなぜですか。生者と死者は一緒にいられないという暗示でしょうか。

あれは、川本喜八郎の表現が、原作に追い着いていない箇所といえるかもしれません。打ち寄せる波のなかを通る一本の道は、浄土教でいう二河白道を表しているのでしょう。それは、燃えさかる炎と逆巻く波のなかにか細く通る救いの道です。郎女はその道のうえ…

大津皇子のように非業の死を遂げ、罪人として葬られている人が、神々しくみえたのはなぜですか。

あれは南家郎女の主観ですね。物語のなかで触れられていましたが、彼女は藤原氏の氏神に仕える巫女であり、怨霊=祟り神となっている大津皇子に取り憑かれてしまっています。神婚譚では、神の訪問を受ける女性は、神を必ず〈美しい男性〉として認識していま…

大伴家持と恵美押勝の会話の意味がよく分かりませんでした。藤原南家郎女が仏の名を称えると、大津皇子が去ってゆく理由が分かりませんでした。

ここは、一級の文人でもあるふたりが文学談義をしている場面ですね。やがて話題は南家郎女のことに移りますが、彼女は神に仕える巫女になる女性、「神のもの」なので手が出せないという結論に至ります。しかし本当のところは、二人とも郎女に心が残っている…