2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

先生は、神様や霊的なものをみたことはありますか?

残念ながらありません。ぼくは宗教上は無神論者なので、そうしたフレームで世界をみているからでしょうね。

毘盧遮那仏と大日如来はどう異なるのでしょうか。

同じ性質を持つものと考えてよいですが、前者は『華厳経』、後者は『大日経』などに説かれる存在で、いわば依拠する経典、教学のあり方が異なるのです。

ブッダが菩提樹で表現されていた当時は、いまのイスラム教のように、ブッダを人として表現すること自体が禁止されていたのでしょうか。それとも慣例的なものだったのでしょうか。

神聖なるものは具体的には表現できないために樹木や法輪によって表していた、これはやはり、明文化された法律というより一種の共同体規制であったと思われます。神像を多く造形していたギリシャ文化の影響で、聖なるものを擬人化した仏像が造られるようにな…

「人柱」というのも、今までは単に柱に形が似ているからと考えていましたが、それだけではなく柱を崇める気持ちから来る、とても神聖なものであるのかなと感じました。かかしはちょっと意味合いが異なるのでしょうか…。

人柱は供犠の一種ですが、神に生け贄として捧げられるわけはなく、柱として城や橋などの建築物を支えるものです。よって、人体自体を柱とする、その生命をもって困難な工事を完遂させるという残酷さを伴います。かかしはヒトカタでしょうから、宗教的にみれ…

斎槻の話を聞きながら、『となりのトトロ』で、メイが初めてトトロに会うとき、大木の根本の割れ目に落ち、その先で出会ったことを思い出しました。あの大木も、斎槻だったのでしょうか。

トトロに登場するのは、クスノキですね。かなり巨大になる常緑高木ですので、やはり神木に祀られる場合の多かったものです。ちなみに、樹木の洞から根の世界へゆくという発想は、古く『古事記』上/神代に出てきます。ヤソガミたちの迫害を受けたオオクニヌ…

樹木を神として崇めていた日本で、人間が樹木から出てきたと考えていたのは、人間を神と同義のものとみていたということでしょうか。

神話で語られるたいていの人類の起源は、神の子、もしくは似姿を持つものといった性格があり、それが尊厳の根拠のように位置づけられます。すでに授業でお話ししたように、狩猟採集社会のアニミズムにおいては、精霊は人間と同じ姿のものが、クマやトラなど…

柱の材料になる樹木そのものに宿る霊的なものと、人工物としての柱に宿るものとでは、性質の相違があるのでしょうか。

祭祀の種別や情況、それの斎行される時代・社会によって違いがありますが、例えば樹木を柱化する祭儀の過程で、樹木の生命そのものともいうべき樹神が、建築物の守護神的存在へと転化されてゆくといったことがあります。天皇が日常的に起居する宮殿を鎮祭す…

木のまな板をかんなで削ってもらったら、若返ったかのような顔になりました。神社の柱をまるごと替えるのはもったいないと思います。削ってきれいな色にして、細すぎて建物を支えられないというくらいになるまで使ってから交換する、ということは試みられなかったのでしょうか。

これは面白い質問です。というのは、自然を大切にしているかにみえるいわゆる「もったいない」という発想は、自然を資源としかみなくなってゆく一過程と捉えられるからです。神に対して何かを供える場合には、自分にとって最も大切なものを供えなければなら…

神社にとって柱は重要であると仰っていましたが、鳥居は何のために設置してあるのでしょうか。

一般的には、神聖な領域の出入り口を画する門を意味しています。神聖な領域と一般の空間とは、目にみえない境界で隠されており、一定のセオリーを順守しなければ「越境」することができないと考えられていました。参道はその唯一のルートで、鳥居はそれを段…

男根的なものは、領域国家の成立以前から、権力の象徴だったのでしょうか。

領域国家成立以前から、権力の象徴だったわけではありません。例えば縄文時代には、授業でもお話ししたように死と再生のサイクルが自然そのものとして崇められていましたが、その表現のひとつとして、生殖器信仰が盛んでした。男根や女陰を継承した石器を立…

山々の植生が書き込まれた正保の国絵図などは、伊能忠敬などのように、誰かが測量したものなのだろうか。信憑性が気になる。

正保の国絵図、そして郷帳の詳細な記述は、近世初期に至る検地の結果です。現在の研究成果では、これまで画期的と思われていた太閤検地の成果について、それほど詳細かつ厳密なものではなかったとする見解が多くなってきています。しかし、近世初期には、小…

草肥(刈敷)以外にも多様な肥料があり、人や牛馬の糞尿を利用した下肥などは一般的だったと思うのですが、江戸期には行き渡らなかったのですか。

中世後期から広がってきた草肥が一般的でした。下肥なども使用されていましたが、とてもすべての水田に行き渡るには至らなかった、それほど水田の規模が巨大になっていたのです。次回の授業でもお話ししますが、しかし草山・柴山も水田化されてゆくことで刈…

先生は、どのような生き物でも環境を破壊すると仰っていましたが、それは、地球環境はいずれ破滅する運命にあるということでしょうか?

地球上のあらゆる生き物は、動物も植物も菌類も、何らかの形で環境から栄養を搾取していますので、それが過度な破壊を生む契機となる場合はあります。しかしたいていの場合は、その規模は環境の回復力の及ぶ範囲に収まるので、循環のなかに解消しうることが…

日本列島の環境破壊のあり方は、海外諸国と比べるとどうだったのだろうか。

森林を伐採していたのは農民なのでしょうか、それとも林業に従事する人々ですか。 / 当時は森林伐採について、国民に知識を共有させるといったことはあったのでしょうか。もしそうした事例があったのなら、みな伐採を止めたと思います。

時期によって多様ですが、とうぜん材木を得るためならば林業関係者、草山・柴山を造るためならば農民です。安土桃山の大規模開発期は、大名や寺社から依頼を受けた林業、建築の職能を持つ人々が伐採に当たっていました。農村付近の山で、村で住宅その他に用…

天皇制の普及による土地の神聖性の剥奪、とありましたが、民衆はそれまで大切にしてきたものを、それほど簡単に手放してしまうものでしょうか。現在まで神聖なものと崇められている山々もありますが、これらは中央政府からどのように扱われたのですか。

確かに、古代に土地の神聖性がすべて失われてしまうわけではありません。しかしそれは、次第に人間から自然環境への畏怖を奪い、「コントロール可能なもの」との意識を醸成してゆく。その最初の画期が、現御神天皇を擁した古代の開発にあった、というわけで…

私は高校生のとき、日本史の授業で、難波宮と難波長柄豊碕宮とは名前も場所も異なる別物と学びました。後者を難波宮と呼ぶ場合、何をもって見分ければよいのでしょうか。

もしそうだとすると、その先生が誤りを教えたことになりますね。現在、史実として確認されているのは前期難波宮=飛鳥時代の難波長柄豊碕宮と、後期難波宮=奈良時代の難波宮ですが、両者はともに「難波宮」と呼ばれることも多く、同じ場所に建設されていま…

『竹取物語』でも野山で竹を取っているが、その当時の野山にはまだ森林が残っていたのだろうか。

『竹取物語』は平安時代ですので、柴草山化も伸展しておらず、近畿全域がはげ山になっていたわけではありません。物語の舞台については諸説がありますが、京都西側の桂地域か、あるいは丹後の山地地帯でしょう。都郊外のこれらの地域には、竹林が濃密に分布…

授業で、森林不足によって温暖化が起きたと聞いて驚いたのですが、現代問題化している温暖化は、このときからの積み重ねでこうなってしまったのですか?

それは誤解です。授業内で温暖化といったのは、通常の気候変動によって起きる温暖化です。古気温曲線の変化でみたように、万年千年規模の長期スパンでみますと、気温は温暖化/寒冷化の間を大きく変動しているのです。前々回にみたように、中世前期までの温…

植林については、江戸時代以前から行われていましたか。

古代には、天皇の住まう空間、利用する空間の荘厳を保つため、狩猟場や陵墓などの伐採が禁じられた例がありましたが、植林の技術がある程度確立され、一般化してゆくのは江戸時代になってからです。中世までは、果樹や麻、楮、漆などその他産業に用いる樹木…

天皇崇拝に基づく神殺しが実施された頃には、すでに天皇は神の子孫であるという信仰があったのでしょうか。

むしろ、大王が天皇になること、すなわち自然神(神祇の区別でいえば地祇に当たる)を超える存在であることが、開発と対になって展開されたというべきでしょう。その典型が藤原京の造営です。これは日本最初の本格的な都城で、極めて大規模な土木工事によっ…

自然に神霊を感じていたアニミズムの社会から、なぜこのような大規模な伐採が生じるのでしょうか。 / 狩猟採集社会では、自然を大切にするような活動はあったのでしょうか。

よく誤解されるのですが、アニミズムは、現在の環境倫理とイコールではありません。基本的には、狩猟採集社会の人間のあり方を正当化する方向で機能するものです。例えば、ユーラシア北部から北アメリカ北部に及ぶ北方狩猟民の間は、〈動物の主神話〉と呼ば…

現在では植林など森林回復へ向けた活動がありますが、森林が一時期に比べて復活しているのであれば、その必要はないのではありませんか。

上でも少し書きましたが、森林面積が回復しているといっても、戦後の植林事業の展開とその荒廃によって、手入れなしに放置された山々がかなり荒廃している状態です。列島の森林行政は、かなり酷いものです。きちんと予算をあて、しっかりした計画を立てて、…

日本列島の流れとは逆の歴史を辿ったような、自然環境を大切にした国家はあったのでしょうか。

国家というものが誕生してしまうと、その発展のために、自然環境はおしなべて「素材」化され、破壊されがちです。20世紀は開発の時代と呼ばれ、多くの国々が「開発主義」を掲げて大規模な破壊をなし、その結果環境問題が深刻化してきました。逆に、国家化し…

古墳時代に古墳を築造する際、丘陵などの削平も行ったとのことですが、なぜ割けて作らなかったのでしょうか。

古墳の占地については、現在充分に解明されているわけではありませんが、時代や地域、被葬者の地位などによってさまざまな条件があったようです。それらに制約されて築造されるため、例えば限定された地域に一族や首長・陪臣の墳墓が密集したり、兵站ではな…

冒頭で、近代は暦が関係ないとの話が出ましたが、いつからそのようになってしまったのでしょうか。四季や暦がはっきりしているのが、古き良き日本ではないのでしょうか。

やはり、自然環境に根ざした第一次産業が衰退し、また変質してしまったからでしょうね。現在農業に従事している人々も、近世以前と同様に太陰暦を意識し、身体化して生活してはいないでしょう。自然環境と人間との接触が、あらゆる面で直接的ではなくなって…

埴輪が、手足を持つ人物埴輪になったのは5世紀中頃と聞きましたが、なぜ手足を作るようになったのですか。

手足が作られるようになるというより、神霊への供献物を載せる特殊器台が発展した円筒埴輪から、人物や動物などの形象埴輪が造られるようになったということでしょう。人物埴輪は、多くが古墳の被葬者とそれに近似する側近、采女、護衛する衛士・武官、馬と…

比叡山の植生は、近世からどのように回復してきたのでしょうか。国の政策ですか。

主に自生回復と思われます。第二次大戦の戦時供出により、列島の山林は再び大規模伐採を経験しますが、その後の高度経済成長期には林業活発化のため無計画なスギ林の植林が大規模に展開し、結果として現在、多くの山林の後輩や花粉症の流行を招いてしまって…

里山景観などと同じく、我々が「伝統的なもの」「自然そのもの」と誤解している景観はほかにありますか? / 日本列島のなかで、古代からの環境がそのまま維持されている地域はあるでしょうか。 / 古代から中世にかけて、寺院や神社が所有していた森林が、周囲の人間によって生活のために伐採され、対立が生じたとのことですが、それはどの程度の規模のものだったのでしょうか。最終的には、寺社がその情況を受け入れたということですか。

誤解されているという意味ならば、それこそ「社叢」、すなわち神社の鎮守の森や寺院境内の森林でしょうね。現在は「社叢学」という言葉もあり、神道学や神道史の一部の人々から、鎮守の森を太古より続く原生林のように主張する意見が出ています。しかし、こ…

川上から流れて来たものを育てるという話が中国や日本でみられるとのことですが、『旧約聖書』出エジプト記にも、モーゼが川で拾われたというエピソードが出てきます。何か共通点はあるのでしょうか。

英雄の異常出生譚のひとつで、うつぼ船型などといわれる神話素、話型です。中空になった船に入った母子や赤子が漂着し、育てられて英雄や救世主になってゆく。モーセのほかにも、ギリシャ神話のペルセウス、中国夏王朝の建国の英雄伊尹など、数多く存在しま…