2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

韓国の国旗に卦が使われていることには、何か意味があるのですか。

易が中国の民衆にまで広がったのはいつごろでしょう。

例えば、戦国末の「包山楚簡」「望山楚簡」からは、亀トや易など数種の占いを使い分けるト占集団が、貴族に奉仕して病気治療等に当たっていたことが分かっています。また、前漢の『史記』日者列伝には、都市のなかに易者が店を開く場所のあったことが確認さ…

小指と薬指の間にぜい竹を挟むことには、何か理由があるのでしょうか。

中国では、奇数やアンシンメトリーなものが好まれるように思うのですが、易との関連性はありますか。

易を行う際、なぜ竹を材質とした道具を使うのですか。竹に特別な精霊が宿っているのでしょうか。

竹は、中国では、植物のなかでも特別な存在と考えられていました。類書『芸文類聚』では、「樹木」というカテゴリーのなかには入れられず、「竹」として独立して立項されています。形態的にも根を伸ばすことで個体を増やしてゆくという特殊性があり、100年ほ…

日本人が〈大きな存在〉に寛容さを求め依存するのは、やはり恵まれた自然環境に根差す甘えと関係があるのでしょうか。厳しい環境で生じたキリスト教などには、やはり厳しい戒律が存在するのでしょうか。

『豊後国風土記』逸文では、なぜ田主は稲の精霊とではなく、鹿と契約を結んだのでしょうか。

まず、日本では稲の精霊(稲魂といいます)を擬人化してあつかっている(書きかけ)

生きものが生きるために他の生きものを食べるというのは自然なことですが、人間はひたすら他の生きものを食べるばかりで、その後ろめたさを祭祀によって正当化しているようにも捉えられるのだと思うと、少し悲しくなります。現代においては、食物となる生きものへの感謝や敬いの心さえ薄れてしまい、毎日たくさんの食物が廃棄物になっている現状が、さらに悲しいことだと思いました。

本当にそうですね。

〈一元的な存在〉とは、基本的に人間の延長なのでしょうか。

人間であるかないかということは、さほど意識されていないのかも知れません。しかし、先日お話したような〈彼岸性〉は希薄ですね。神的存在であっても、それ自体が人間を相対化してしまうような存在ではない。やはり人間の価値観の延長上にある、極めて現世…

日本人が多神教だというところに疑問が出てくる、というくだりがよく分かりませんでした。

確かに、日本人は多くの神仏を崇めていますが、本当に各々の個性を認識しているかどうかが問題です。ここは病に霊験がある、ここは縁結び、といった機能的な区別はしていますが、それら神仏の来歴や個性には注意を払っていません。毎年正月に、最も多くの初…

「山羊と狩人」の神話のなかで、精霊の世界においてなぜ山羊は人間の姿をしているのでしょう。精霊なら精霊でいいのではないでしょうか。

精霊の恰好が、人間と同じであるというわけです。この点、人間が神の似姿を持つというキリスト教の発想にも近いかもしれません。精霊が人間の姿を持つということ自体、やはり人間的価値観に基づくものということでしょう。

精霊に対する考え方、アニミズムなどにも地域によって相違が出るのは、気候などによるものでしょうか。

むしろまったく同じになるという方がおかしいので、気候条件はもちろん、相違に至る要因はさまざまに考えられます。

高校の日本史にも出てきた『延喜式』が、神話的内容を含んでいるのに驚きました。他の法律関係資料も、そうした内容を含んでいるものなのですか。

古代国家は神祇を祀る制度を持っていましたので、とうぜん、根本の行政法である律令にも「神祇令」が定められ、祭祀の基本的なありようが定められていました。律令の補足修正法を類聚集成した『類聚三代格』にも、神祇や祭祀に関する法令が収録されています…

大殿祭は建物の守護神を維持する祭儀に思えますが、そのなかで、木を伐り出した山へお礼を述べに再訪する儀式などはなかったのでしょうか。

果たしてそうした祭祀があるかどうか、寡聞にして知りませんが、例えば大殿祭の祝詞のなかに山での儀礼が読み込まれているように、家宅の守護神=樹霊を祭祀することが、間接的に山神を奉祀することにも繋がっていると考えられます。人間と山神との関わりは…

散米と節分の豆まきとは同じようなものですか。

節分に鬼を追うことは歳末の追儺(鬼やらい)に発していますが、豆まき自体には同様の意味があると考えられます。豆には芽を生み出す生命エネルギーが充満していますので、邪気を外へ追いやる魔除けの力と、屋内の守護力を活性化させる力の双方が期待されて…

古代の猪名部や船木には、その氏族に伝わる祝詞のようなものはなかったのでしょうか。

そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音…

木鎮めの儀式にイケニエは存在したのでしょうか。

日本の場合には行われた形跡はありませんが、世界的にみれば木に対する供犠はよくみられます。ただし、木鎮めに関わる物語のなかには、名工左甚五郎の妻が人柱となるなど、女性を犠牲とする説話が時折みられます。これは実際に女性がイケニエに供されたとい…

木鎮めの際、山の入り口で祭儀を行うとのことでしたが、8割を山地が占める本州を巨大見立てた場合、山口県という地名は意味があるように感じます。

「山口県」という名称はとうぜん明治以降のものですが、もともとは阿武郡あたりの山への入り口を指す地域名称だったようですね。旧国名の長門は海峡を表す「穴門」からの改称で、いずれにしろ日本の入り口という意味が込められているといえるかも知れません。

大殿祭は年2回とのことですが、壊れて修理をするときには何か祭祀をするのでしょうか。

私の地元では、家を建てる際に、屋根ができたら、家主がそこに登って餅や小銭を投げる行事があります。これも一種の木鎮めでしょうか?

建前(棟上げ)の行事ですね。列島では最も広く分布する建築儀礼のひとつです。しかし、高い場所からの餅まきは、必ずしも建築中の建物のみから行うとは限りません。初午の節句などの際に、櫓を組んでそのうえからまく場合もあります。現在の建前の場合は、…

山口祭儀以外で、山口神社が設けられるのはどういう場合でしょう?/山口神社は複数あるとのことですが、山ごとに祭儀を行っていたのでしょうか?

山自体が神聖視され禁足地となっている場合、入り口に神社が設けられ一般の出入りを阻んでいることがあります。入山できるのは神職など限られた人々、もしくは限られた日時のみ。こうした場合も、山神に入山の許可を乞う場として設置されたとみるべきでしょ…

「木鎮め祭儀」のような祭儀は、日本以外にもあるものなのでしょうか。ヨーロッパなどではどうなのでしょうか?

後のケルト的な色彩を持つヨーロッパの基層的宗教文化(ドルイド教)は、オークを神聖視して、人間を含めた供犠を行っていたことが分かっています。神聖な樹木を伐る必要が生じたときにも、その種の祭儀を行ったのでしょう。ちなみに、今年の初めに東京国立…

高校の日本史にも出てきた『延喜式』が、神話的内容を含んでいるのに驚きました。他の法律関係資料も、そうした内容を含んでいるものなのですか。

古代国家は神祇を祀る制度を持っていましたので、とうぜん、根本の行政法である律令にも「神祇令」が定められ、祭祀の基本的なありようが定められていました。律令の補足修正法を類聚集成した『類聚三代格』にも、神祇や祭祀に関する法令が収録されています…

大殿祭は建物の守護神を維持する祭儀に思えますが、そのなかで、木を伐り出した山へお礼を述べに再訪する儀式などはなかったのでしょうか。

果たしてそうした祭祀があるかどうか、寡聞にして知りませんが、例えば大殿祭の祝詞のなかに山での儀礼が読み込まれているように、家宅の守護神=樹霊を祭祀することが、間接的に山神を奉祀することにも繋がっていると考えられます。人間と山神との関わりは…

散米と節分の豆まきとは同じようなものですか。

節分に鬼を追うことは歳末の追儺(鬼やらい)に発していますが、豆まき自体には同様の意味があると考えられます。豆には生命エネルギーが充満していますので、邪気を外へ追いやる魔除けの力と、屋内の守護力を活性化させる力の双方が期待されているのでしょ…

古代の猪名部や船木には、その氏族に伝わる祝詞のようなものはなかったのでしょうか。

そうした祝詞は伝わっていませんが、とうぜん、固有の木鎮めの技術は持っていたものと思います。猪名部は新羅から渡来した造船技術者を祖としますが、『書紀』によると、その始祖伝承は枯野の築造と結びついています。枯野には、老朽化した残材から七里に音…

木鎮めの儀式にイケニエは存在したのでしょうか。

日本の場合には行われた形跡はありませんが、世界的にみれば木に対する供犠はよくみられます。ただし、木鎮めに関わる物語のなかには、飛騨の名工甚五郎の妻が人柱となるなど、女性を犠牲とする説話が時折みられます。これは実際に女性がイケニエに供された…

木鎮めの際、山の入り口で祭儀を行うとのことでしたが、8割を山地が占める本州を巨大見立てた場合、山口県という地名は意味があるように感じます。

大殿祭は年2回とのことですが、壊れて修理をするときには何か祭祀をするのでしょうか。

私の地元では、家を建てる際に、屋根ができたら、家主がそこに登って餅や小銭を投げる行事があります。これも一種の木鎮めでしょうか?

建前(棟上げ)の行事ですね。列島では最も広く分布する建築儀礼のひとつです。しかし、高い場所からの餅まきは、必ずしも建築中の建物のみから行うとは限りません。初午の節句などの際に、櫓を組んでそのうえからまく場合もあります。現在の建前の場合は、…