2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧
中国王朝が易姓革命によって何度も交替するなか、長い歴史があることで、新羅や唐に対する日本の正当性を語ろうとしたものかもしれません。また、そもそもの正当性の語り方が、アマテラスに地上の支配を付託されたニニギの天孫降臨、すなわち神話に求められ…
王権の安定的な継承を考えたとき、実力重視のあり方では、常に内乱の危機を抱え込むことになります。事実、古墳時代から飛鳥時代へ接続する継体朝においては、前代までの王統が断絶し、列島各地で反乱も生じて、まるで邪馬台国における卑弥呼の死の直後のよ…
直接的な影響は確認できません。なお、オホキミのオホ=「大」には、その後「王権のものである」との意味が一般化し、「大宮」「大寺」などと使用されます。
関東地域は、結局鎌倉幕府の開設に至るまで、中央政府に対する独自性を確保しています。王権にとっては、味方に付ければありがたい存在ながら、常に緊張感をもって交流することを強いられたでしょう。実際、『日本書紀』には、武蔵国造の反乱記事が収められ…
もちろん、編纂者による改変の可能性、武自身の誇張など、事実をわい曲した可能性も考えられます。しかし、高句麗や百済・新羅など、当時の朝鮮半島諸国もほぼ同形式の上表文を宋に送っており、東アジアにおける府官制の展開は事実であった可能性が高いと考…
讃―珍と済―興・武が異なる血統だとすれば、前者を河内グループ、後者を大和グループに当てる説もあります。ワカタケルの宮として金石文に出てくる「斯鬼宮」は奈良盆地中央部のシキのことですから、雄略=倭王武が大和グループであったことは確かです。とす…
前方後円墳のうち、宮内省によって陵墓参考地に比定されている大王墓は、発掘することができないのです。よって、発見されていないということになります。大和グループ、あるいは河内グループの巨大前方後円墳のなかに、ワカタケル大王の墓も確実に存在する…
この頃は、まだ充分な記録が出ていないですね。ただ飛鳥時代の後半〜奈良時代に入ってゆく頃には、領土の拡大と境界の画定に意が払われ、南西諸島の人々が飛鳥へ朝貢してきている様子を確認できます。「都貨羅人」などの名称も出てきますね。しかしそれらが…
当然想定していたからこそ、後白河と頼朝との間で緊張感のあるやりとりが展開されるわけです。頼朝が義経のように中央へ帰属してしまえば、恐らく武家政権は出現しなかったでしょう。恐らくは漢籍に精通した大江広元など(守護・地頭設置も彼の提案)、頼朝…
つまり、鎌倉時代における後白河法皇―源頼朝の関係が、南北朝時代における宋―倭の関係と相似形なのです。東アジアは中華王朝を主宰者とする世界(もちろんこの時期、その中華王朝が南北に分裂していたわけですが)ですので、東アジアにおける国際関係のなか…
かつての中原王朝の影響を受けてきた東アジア諸国には、やはり中華王朝の正統は漢文化である、南北朝の北朝は異民族文化であるという認識が強かったものと思います。また、倭王武の上表文のなかにも書かれているとおり、高句麗が朝鮮半島の付け根で大きな勢…
実際のところは、少し難しい情況と思います。確かに中国では、贋作の発掘品、あるいは他所から意図的に混入されたものなどもみられるのです。しかし、10年ほど前に話題になった遣唐留学生井真成の墓誌など、貴重な発見がなされる場合もあります。議論の行方…
授業でもお話ししましたが、主に祭祀用です。鏡は太陽を象ったもので、同時代の中国でも、銅鏡で辟邪の力を持つ呪具・祭具として使用されたことが、『抱朴子』などに書かれています。
ああ、これはちょっと説明不足だったかもしれません。あれは蕨の形状をしているので蕨手文と呼ばれていますが、蕨そのものを象ったわけではないと思われます。史料もないのでその意味を正確に論じることは難しいのですが、生命エネルギーの噴出するさまを描…
多くは、岩石を砕いて生成した顔料によるものです。顔料には、赤、青、黄、緑、黒、灰、白などがありますが、古墳時代にはすでに漆器もあり、刷毛目を持った土器が出土していることからハケのような道具があったことは確実で、それらを利用して描かれたとみ…
いい質問ですねえ。玄室へ壁画を描くことは、それ自体が一種の葬送儀礼であった可能性があります。もっと正確にいえば、古墳を築造すること自体が、「送る」ことの一環なのですね。装飾古墳については、壁画を最新のモードで修飾すること、中国や半島に由来…
岩戸籠りの神話は、冬至の祭祀を神話化したもの、その起源を語ったものと考えられています。すなわち、太陽が岩戸に隠れてしまって、世界は闇に包まれる。暖かさも薄れて、作物が実らなくなり、生物も生きてゆくことができなくなる。そんな冬に、太陽のエネ…
いわゆる地獄の具体相は、仏教と在来宗教との融合によって、中国では隋唐の頃、日本では平安時代に形成されてゆきます。中国の孟婆、日本の脱衣婆などは、この時期以降に形成されてゆく新しいものですね。旬の夏野菜で作る馬と牛(往路は馬で速く、復路は「…
こうした神話や伝承の類似は、世界各地にさまざまの局面でみることができます。例えば、グリム兄弟によって採集されたシンデレラは、やはりほぼ同じ物語が、中国唐代の『酉陽雑爼』に確認できます。歴史学者のカルロ・ギンズブルグは、伝承の背景にユーラシ…
死者観と他界観、埋葬儀礼の相違なのでしょうが、棺を使用しない埋葬方法の場合、石室全体がひとつの棺なのだと理解することができるでしょう。王塚古墳などは、それゆえに玄室内が執拗に装飾されているのだとみることもできます。
実は、24体は最少確認体数で、盗掘を受けて遺体も原位置を留めていなかったため、もっと多くの遺体が葬られていた可能性があります。花岡山の場合は木棺に複数の遺体を「詰め込む」形式であったようで、木棺自体は4基確認されています。ひとつの棺桶にどれ…
伸展葬ですね。玉などの宝飾品などで飾り立て、武器や武具などの副葬品もともに収められます。
遺体の損壊の様子から、逆に生への執着が強くなり、死後も生者と同じように暮らせる世界があるに違いない、死後の世界が存在するに違いないとの考えが発展したものとみられています。恐らくは横穴式石室とともに、すでに具体的な冥界観を持っていた中国の思…
主に呼吸をしているかどうか、そして心臓が鼓動しているか、また死後硬直など身体の変化が重要なポイントだったでしょう。仮死状態にあるものを誤って埋葬してしまうという話は、近代に至るまでいろいろ聞かれますが、古墳時代の(古墳に埋葬されるような)…