2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧
現在の日本社会は、必ずしも無宗教ではありません。それは、キリスト教的な宗教観でみた場合「宗教的」とはいえないだけで、実際はかなり宗教的なのです。例えば、正月。多くの人々が神社や寺院に初詣に出かけ、1年の無病息災などさまざまなことを祈願しま…
まず誤解のないようにいっておきますが、必ずしも「近代に創られた」神名を名乗っていたわけはありません。多くは、国家が国体の聖典とした『古事記』『日本書紀』に登場する、古典的な神名に改められたということです。中世や近世の神々をめぐる信仰の変化…
面白い質問です。まず一つは、実証主義が国家の運営するアカデミズムで機能したものであり、それゆえに国家主義的傾向を強く帯びたことがいえます。つまり、例えば民間の仏教信仰ではなく、君主である天皇を基軸とする世界観に親和的であったわけです。また…
正確な文脈では、近代的個が確立していないアジア的共同体では、個と神との葛藤をめぐるランケ的な実証主義が、深いところでは受容されなかったという話だったと思います。アジア的共同体は、個よりも共同体の集合性が強く、またその共同体の意志が、首長に…
まず、この世界は大学へ行くことのできるひと、ネットで自由に情報を検索できる人、図書館に自由に出入りして書物を閲覧できる人だけによって構成されているわけではありません。そうした環境にない人は大勢いますし、そうした環境にあっても利用しない人も…
戦前・戦中においては、応用史学の知識で教育された人々が、純粋史学の研究成果に触れることは、機会としては多くなかったはずです。大部分の人々は、「皇民教育」を受けてその内容を信じ、国家主義的な思想や行動原理を持つに至ってゆくのです。また物語の…
一般の人々を相手に恫喝的に史料を収集することは、建国間もない明治政府の正当性を動揺させますので、一応はきちんとした手続きを踏み、買取や借用などが行われたはずです。しかし文化的には混乱期でもあり、とくに廃仏毀釈が吹き荒れた情況においては、古…
さまざまなレベルでの比較という方法があります。例えば、古代において、Aという人物がある事件に際して取った行動を検証するとします。それについて書いた記録はひとつしかなく、同一記事については比較対象がない。しかし、例えばAが所属している氏族の…
現在の歴史学者のほとんどは、研究の実践と、個人としての政治的立場の表明は別々だと考えています。ですから研究自体においては、教訓的眼線を差し挟むことはしませんが(つまり、「この事実は現在における教訓となるだろう」といった結論の学術論文はほぼ…
そうだと思います。西洋史の方法論に依拠した実証史学は、まさに特殊です。皇国史観の方が、前近代の考え方に近い部分があった。もちろん国家の強制は大きいですが、それでも社会の需要にある程度応える側面を持っていたからこそ、強く浸透していったのだと…
史学科の設置は、やはり最終的にはナショナル・ヒストリーを構築するための学問的根拠であり、その担い手となる研究者を養成するための機関でもあった。それゆえ、国史学科が設置されてゆくのは当然といえます。リースの申請に至るまでは、すでに民間で福沢…
伝承研究という学問の立場からすれば、そこに語られている内容が客観的な事実かどうかは、さほど大きな問題ではありません。どのような形で語られているか、当時、誰によって何がどういう形で信じられていたのか、なぜそう考えられていたのかが重要です。伝…
『太平記』や『平家物語』は、例えば儒教的価値観を語る部分においては幕府の統治思想と一致をするので、とくだんの問題は含みません。しかし、その書物を通じて例えば勤王思想が強まり、幕府への批判が高まったりすると、非常に都合が悪いということになり…
上の進歩史観においては、「よいこと」といえるでしょうが、必ずしもそうとばかりはいえません。自然との関係において「解放」を最前とし、そのうえで自然から「収奪」しようとする意識こそが、地球上に種々の環境問題を生じ、全生態系的な危機を発現させて…
お話ししたように、文明史学は非常に啓蒙思想的かつ功利主義的な歴史観で、人間の進歩が文明によって可能になることを描き出すものです。そうした進歩史観では、常に現在の状態が最良であり、過去へ遡るほど、野蛮で未開な状態に近付くこととなります。すな…
中国は紀元前から文字を操っている国なので、厖大な書物をどのように読解するか、という注釈・考証の学問が著しく発展しました。清朝考証学はそのひとつの到達点で、多くの古典テクストを対照するなかから正当な解釈を導き出そうとします。江戸期の厖大かつ…
もちろん、世界の成り立ちを知り、世界の人々と交流し、世界のなかで生きてゆくためです。一方でそれは、国家の国際戦略とも関わりがありますが、一方でナショナル・ヒストリーを相対化する力も持っています。一時期、世界史未履修などの問題もありましたが…
あからさまな権力の介入によって歪曲された記述は、今のところ目立っては存在しません。しかし例えば聖徳太子の評価のように、戦前・戦中に日本の大陸進出を正当化するために作られたイメージ(大国隋と渡り合い対等外交を実現させたなど)が、未だに教科書…
前回の講義でも、今回の講義でもお話ししましたが、歴史学研究がナショナル・ヒストリーという形式自体を批判しています。現在の教科書制度についても、現状を少しでもよくすべくその制度のもとで実践をしながら、問題点の指摘や批判を常に行い、教科書の記…
ナショナル・ヒストリーは国民統合の歴史ですが、それは統治システムである国民国家が構築するものであって、それぞれの階層が話し合い、それぞれの意見を反映した結果として打ち出してゆくものではありません。後者はパブリック・ヒストリーと呼ばれ、よう…
それをしてしまったら、もはや全体主義ですね。民間で教科書を作成する必要はなく、戦前・戦中のように、国定教科書を配布すれば済むことです。ガイダンスの際にもお話ししたのですが、戦後の教育改革はこの反省から出発し、民間から自主的に教科書の作成・…