全学共通日本史(15秋)
正保の国絵図、そして郷帳の詳細な記述は、近世初期に至る検地の結果です。現在の研究成果では、これまで画期的と思われていた太閤検地の成果について、それほど詳細かつ厳密なものではなかったとする見解が多くなってきています。しかし、近世初期には、小…
中世後期から広がってきた草肥が一般的でした。下肥なども使用されていましたが、とてもすべての水田に行き渡るには至らなかった、それほど水田の規模が巨大になっていたのです。次回の授業でもお話ししますが、しかし草山・柴山も水田化されてゆくことで刈…
地球上のあらゆる生き物は、動物も植物も菌類も、何らかの形で環境から栄養を搾取していますので、それが過度な破壊を生む契機となる場合はあります。しかしたいていの場合は、その規模は環境の回復力の及ぶ範囲に収まるので、循環のなかに解消しうることが…
時期によって多様ですが、とうぜん材木を得るためならば林業関係者、草山・柴山を造るためならば農民です。安土桃山の大規模開発期は、大名や寺社から依頼を受けた林業、建築の職能を持つ人々が伐採に当たっていました。農村付近の山で、村で住宅その他に用…
確かに、古代に土地の神聖性がすべて失われてしまうわけではありません。しかしそれは、次第に人間から自然環境への畏怖を奪い、「コントロール可能なもの」との意識を醸成してゆく。その最初の画期が、現御神天皇を擁した古代の開発にあった、というわけで…
もしそうだとすると、その先生が誤りを教えたことになりますね。現在、史実として確認されているのは前期難波宮=飛鳥時代の難波長柄豊碕宮と、後期難波宮=奈良時代の難波宮ですが、両者はともに「難波宮」と呼ばれることも多く、同じ場所に建設されていま…
『竹取物語』は平安時代ですので、柴草山化も伸展しておらず、近畿全域がはげ山になっていたわけではありません。物語の舞台については諸説がありますが、京都西側の桂地域か、あるいは丹後の山地地帯でしょう。都郊外のこれらの地域には、竹林が濃密に分布…
それは誤解です。授業内で温暖化といったのは、通常の気候変動によって起きる温暖化です。古気温曲線の変化でみたように、万年千年規模の長期スパンでみますと、気温は温暖化/寒冷化の間を大きく変動しているのです。前々回にみたように、中世前期までの温…
古代には、天皇の住まう空間、利用する空間の荘厳を保つため、狩猟場や陵墓などの伐採が禁じられた例がありましたが、植林の技術がある程度確立され、一般化してゆくのは江戸時代になってからです。中世までは、果樹や麻、楮、漆などその他産業に用いる樹木…
むしろ、大王が天皇になること、すなわち自然神(神祇の区別でいえば地祇に当たる)を超える存在であることが、開発と対になって展開されたというべきでしょう。その典型が藤原京の造営です。これは日本最初の本格的な都城で、極めて大規模な土木工事によっ…
よく誤解されるのですが、アニミズムは、現在の環境倫理とイコールではありません。基本的には、狩猟採集社会の人間のあり方を正当化する方向で機能するものです。例えば、ユーラシア北部から北アメリカ北部に及ぶ北方狩猟民の間は、〈動物の主神話〉と呼ば…
上でも少し書きましたが、森林面積が回復しているといっても、戦後の植林事業の展開とその荒廃によって、手入れなしに放置された山々がかなり荒廃している状態です。列島の森林行政は、かなり酷いものです。きちんと予算をあて、しっかりした計画を立てて、…
国家というものが誕生してしまうと、その発展のために、自然環境はおしなべて「素材」化され、破壊されがちです。20世紀は開発の時代と呼ばれ、多くの国々が「開発主義」を掲げて大規模な破壊をなし、その結果環境問題が深刻化してきました。逆に、国家化し…
古墳の占地については、現在充分に解明されているわけではありませんが、時代や地域、被葬者の地位などによってさまざまな条件があったようです。それらに制約されて築造されるため、例えば限定された地域に一族や首長・陪臣の墳墓が密集したり、兵站ではな…
やはり、自然環境に根ざした第一次産業が衰退し、また変質してしまったからでしょうね。現在農業に従事している人々も、近世以前と同様に太陰暦を意識し、身体化して生活してはいないでしょう。自然環境と人間との接触が、あらゆる面で直接的ではなくなって…
手足が作られるようになるというより、神霊への供献物を載せる特殊器台が発展した円筒埴輪から、人物や動物などの形象埴輪が造られるようになったということでしょう。人物埴輪は、多くが古墳の被葬者とそれに近似する側近、采女、護衛する衛士・武官、馬と…
主に自生回復と思われます。第二次大戦の戦時供出により、列島の山林は再び大規模伐採を経験しますが、その後の高度経済成長期には林業活発化のため無計画なスギ林の植林が大規模に展開し、結果として現在、多くの山林の後輩や花粉症の流行を招いてしまって…
誤解されているという意味ならば、それこそ「社叢」、すなわち神社の鎮守の森や寺院境内の森林でしょうね。現在は「社叢学」という言葉もあり、神道学や神道史の一部の人々から、鎮守の森を太古より続く原生林のように主張する意見が出ています。しかし、こ…
最終的にはそれに近い事態になってゆきますね。当初、勘合は室町将軍家が独占管理していますが、やがて大内氏や細川氏など交易に力のある武家へ売却するようになり、やがて大内氏への勘合の一括下げ渡し、細川氏による偽造などの事態に至ります。やがて室町…
それはやはり近代、満州の植民地化以降でしょうね。しかし尖閣などの領土問題に関しては、前近代にまで遡って「証拠探し」がおこなわれていますね。
足利や新田、北條といったウヂナは、種々に分かれた家系が必要とした、いわば通称にすぎません。正式な氏姓とは天皇から与えられたものですので、足利の場合は源氏姓になるわけです。これは対外的に、ということではなく、朝廷の儀式など正式な礼が必要な場…
中国王朝にとっては、天皇の存在など大きな意味を持ちません。自らの冊封した国王こそが、東アジア世界における国王なのであり、それは天皇などが存在する以前から機能していた論理です。もちろん、君主以外とは通交を結ばない海禁政策を採っていましたので…
上にも書きましたが、まず国際関係的、また朝鮮半島や琉球、東南アジアなどと関わりのある九州、中国・四国地方の国々と優勢な関係を築いてゆくうえでは、環東シナ海地域の覇者である明と結ぶのは大きな意味がありました。交易の利が巨大なことは平安以降の…
そういうわけではありません。朝貢貿易とはそういうものなのです。中国王朝は、理念上、世界を統一し支配下に収めてゆくベクトルを持ちます。世界に皇帝の徳治を行き渡らせ、蛮族に文化をもたらすのが、天から与えられた使命なのです。朝貢とは、理念上、そ…
そういうわけではないと思います。中国王朝への入貢の際、使者が自分の名前を中国風に変えたりすることはよくみられますが、「良懐」の場合は彼らの側の申請に基づくものではなく、明側が冊封した国王に嘉号として与えた名前ではないか、とも思われます。す…
明に臣属して日本国王として冊封されることの利点は、やはりひとつは交易の可能性です。懐良は九州を独立した王朝と位置づけようとしていた節があり、明へ僧侶らを使者として派遣しています。彼らは中国で政争に巻き込まれて流刑となり、現雲南省の大理へ送…
これについては論旨が多岐にわたり、議論が繰り返されていますが、概ね新しい見解が定着しつつあるようです。新説は、数年前まで上智で教鞭を執っていた米倉迪夫さん、東大史料編纂所の所長も務めた黒田日出男さんが主張されたもので、神護寺三像を源頼朝・…
3はアジアにおける聖数のひとつで、多数決を決するものとして、すでに中国古代の殷の時代から重要視されています。後に、天・地・人を意味するものと位置づけられます。その10倍、100倍など数は、例えば仏教でいう「三千大千世界」など、宇宙そのものを意味…
授業でもお話ししましたが、ルーツを語ろうとするところに、何か「日本人」なる自明のものが存在するような誤解が生じてしまいます。「日本人」といったとき、何がその枠組みの根拠になるのでしょうか。どこからどこまでの領域が日本なのでしょうか。北海道…