2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧
中央集権自体については、社会科学の世界では、もう弊害のほうが大きいとみなされているのではないでしょうか。日本でも、東日本大震災の直前までは、いかに地方自治の力を強くしてゆくかが喫緊の課題として議論され、首都移転や複都制、道州制導入までがリ…
『三国志』魏書/東夷伝倭人条に書かれている邪馬台国の諸制度は、地方統治機構も含めのちのヤマト王権のそれに極めて近く、それが事実であるとするならば、とても北九州の小国規模のものではありえません。また、ヒミコは個人名ではなく、ヒノミコ=日の御…
飛鳥時代、明らかに国家の中心であった飛鳥は、もっと狭い領域です。政治的中心が置かれた場所は、必ずしも可耕面積の多寡に左右されません。また、古墳時代までの大阪平野は、現在の大阪平野とはまったく様相を異にしています。中心には河内湖と呼ばれる淡…
残念ながら、モノの移動から知識の移動、それを担う人間の移動は想定できても、それが確実な証拠となるわけではありません。しかし、例えば埼玉県の稲荷山古墳、熊本県の江田船山古墳から、5世紀の雄略朝において国家の官職を得た記録がみつかっていますの…
授業でもお話ししましたが、古代においては、首長の誕生自体が経済と密接に結びついています。富の集積は、権力が発生する主要な条件のひとつです。ヤマトには、各地の文物が結集し、モノだけでなく人や情報も集積されてゆきました。前方後円墳はそうした知…
末法思想でしょうか? 末法思想は仏教の考え方で、他界観はあまり関係ありませんので、浄土教のことでしょうか…。そうだとすると、根底的な部分では繋がっている可能性があります。浄土教も仏教の考え方ですが、例えば友人の研究者 黒田智さんが明らかにした…
ずいぶん昔に論文として書いたことなのですが、弥生時代から古墳時代にかけて平野が次第に水田化してゆくなかで、開発の難しいポイントが森林として残されるようになり、そうした地域が神聖化され祭祀の場となっていった可能性があります。歴史時代の神社に…
尸解仙の発想が関わっているかどうかは分かりません。飛鳥時代の授業でお話しすることになると思いますが、『日本書紀』の聖徳太子関係伝承のなかには、『神仙伝』などに基づく尸解仙の伝承を参照したものがみられます。7〜8世紀、尸解仙の概念、言説形式…
神仙思想自体は列島文化に定着をみませんでしたが(どうやら不老不死を選ぶより、限りのある生を選ぶメンタリティのほうが強いようです)、桃に関しては『古事記』の黄泉国神話に始まり、桃太郎などの昔話の形で残っています。桃太郎は、桃が川上から流れて…
マツは、列島に広汎に存在する植生ですが、荒れ地に繁茂する強さを持っているので、一次植生が失われたあとの二次植生として確認されます。陶邑周辺の休漁においても、同様の植生遷移が起きていたのでしょう。また、脂分を大量に含んでいるので火力も強く(…
やはり、天皇制が、「象徴」とはいえ顕在であることがネックでしょう。万世一系は虚構とはいえ、天皇制を支える重要な神話なので、陵墓の発掘によってこのあたりのことが大きく覆されれば、その正当性・正統性は喪われてしまう。天皇家が神道の一宗家に落ち…
すなわち、それらの形式が一括して王権から与えられたということです。実際には、王権側の技術者が従属した地域集団のもとへ派遣され、その地の工人たちを指導して構築を行ったのでしょう。
朝鮮半島南部に残る前方後円墳については、ほぼ、かつて百済であった全羅南道に集中しています。築造年代は5〜6世紀で、列島の前方後円墳とは断絶しており、その起源と位置づけることはできません。被葬者については種々の見解がありますが、近年注目を集…
説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、古墳寒冷期は環境破壊によってもたらされたのではありません。地球の気候は、太陽活動の変化、地球の公転軌道の変化、火山活動の変化などを主要因として変転します。古墳寒冷期もそのような結果としてもたらされた…
面白い問題なのですが、人間の歴史のうちには、自然環境の条件に左右されて文化的・社会的な盛衰が生じることはもちろんあるものの、逆に、困難な条件を克服しようとして大きな展開をみせることもありうるのだということです。古墳時代と同じような寒冷期で…
時代、地域や階層によって、大きく異なる問題です。ヤマト王権以降も、朝鮮半島や中国大陸と直接的な交渉のない東日本太平洋側の人々は、なかなか持ちえなかった意識であると思います。というのも、「倭」人という認識は、①日本列島がひとつの国家(もしくは…
弥生時代以降の歴史的展開においては、まず、クニや地域首長、王権の誕生自体が、朝鮮半島や中国大陸からの文物の流入によって成り立っています。灌漑稲作の知識や技術、金属器の製法や形式・原型と素材、祭祀や卜占の方法など、それはあらゆる分野に渡って…
『日本書紀』の崇神天皇紀には、箸墓の被葬者は倭迹迹日百襲姫命と出てきます。この女性は崇神天皇の治世を助けたシャーマンと描かれており、男性が政治を執り女性が祭祀を担当する、いわゆるヒメヒコ制を反映したものと考えられています。卑弥呼と弟王との…
あくまで、近年の、邪馬台国の問題を東アジアの国際情勢のなかで捉え直そうという動きにおいて、そういう学説があるということです。「代理戦争」とまでいってしまうと、あたかも魏が邪馬台国、呉が狗奴国をけしかけていたような印象ですが、実際に両者のバ…
『三国志』魏書/東夷伝倭人条の語るところでは、卑弥呼の死後、狗奴国との戦闘状態がどうなったかについては記載がありません。ただ、卑弥呼のあと男王が立ったものの国内が混乱し、相誅殺して1000人余りが死ぬ事態となったため、卑弥呼の一族から13歳の台…
以前の回答にも書いたのですが、弥生時代に入ると、稲作の男女共同作業を通じて、男性と女性を相対的に区別する認識の仕方が生じてきます。縄文時代には生殖器・乳房・臀部など、明らかな性差を持つ部位が男性像/女性像の根拠でしたが、弥生時代には、顔の…
えーっ、高校の先生が教えてくれたのですか? うーん、ちょっと問題がありますね…。神庭荒神谷の青銅器について、確かに青銅器は伝世されることもあり、いつ埋納されたのかを特定するのは難しいのですが、? あれだけの分量が奈良時代まで伝世された実例はな…
どういう文脈で出てくるかにもよりますが、クニは授業でお話ししたカミと同じで、漢字使用前の列島社会に生まれた規模の大きな地域集団を指します。弥生時代の、北九州や近畿、東海といった、特徴的青銅器をシンボルにしてまとまっていた地域集団などは、ク…
どちらが古いかを確認することは難しいのですが、例えばわれわれの知る日本の神話は『古事記』『日本書紀』『風土記』といった、国家が編纂した史書・地誌の形態で残っています。これは、ヤマト王権→律令国家が、自分たちの建国の正史として作り上げたもので…
考古学的な発見などによって、ヤマト王権の伸張情況、王系の形成過程などがみえてきています。古墳時代のところでお話しします。
そうですね。しかし、実際にヤマト王権が成立したのは、全国的な戦乱の結果ではなく、利害調整を行う王権が必要とされたためと考えられています。武力でねじ伏せ、従属させるような統一がなされなかったからこそ、当初のヤマト王権は畿内豪族を中心に各地の…
授業で説明しましたが、大月氏を重視したのと同じく、中国王朝が伝統的に用いる政策・戦略のひとつ、遠交近攻策であったと思われます。魏が注視していたのは、長く燕の従属下にあった朝鮮半島でしょう。海路を通じて呉と結びつけば、厄介なことになります。…
祖先もしくは祖霊を崇拝する信仰形態は、もともと、人類にとってはそれなりに普遍性があったと思われます。アフリカや南米、北方などの民族社会においては、例えば歴史叙述も父祖の物語として、70代遡るような口頭伝承が存在します。東アジアにおいては、原…
実体は分かりません。北九州の国々なのか、あるいは北九州・中国・近畿・東海のようなまとまりとすべきなのか。纒向遺跡の発掘担当者などは、帥升の段階からヤマト王権の王と位置づけているので、「政治グループ」は全国的な規模を想定することになります。
中国王朝に倭に対する情報がどれだけ集積されていたのかは分かりません。やはり海外の国ですので、それほど重視はしていなかったでしょうし、積極的に情報を収集することもなかったでしょう。「人」から「国」への変化は、例えば複数の政治的まとまりが半島…