2014-10-01から1ヶ月間の記事一覧
多くの点で間違っています。まず、現在靖国神社は公共の施設ではなく、一宗教法人に過ぎないということ。そうした機関に閣僚が公式参拝するのは、それ自体が政教分離を否定する行為であり、信教の自由の問題にも抵触します。また、靖国神社は先祖のお墓では…
非常に危険だと思います。授業でお話をしていますように、いちばん気になるのは、そうした危険な動向を大部分の人が「危険」と認識せず、無関心のもとに放置していることです。若年層も、「誰に投票しても同じ」という常套句をファッションのように駆使し、…
江戸時代までの神社のあり方は、授業でもお話ししたとおり、神仏習合が当たり前の情況にありました。寺院のなかに神社があり、神社のなかに寺院があるのが通常の風景だったのです。また、神道にも種々の教派があって、地域的・思想的に多様な神々が展開して…
ひとりひとりの個人的信仰のあり方を復原するのは難しいですが、一般的にいってまったくの無神論者ではなく、やはり何らかの神仏に関わる信仰を持っていたものと思います。神道を強く信仰していた可能性もあります。怖ろしいのは、宗教の政治利用を主体的に…
天皇が国家経営のための機関であり、制度であるということは、例えば近代的な国家概念のもとでは正しい認識といえるでしょう。しかし近代日本の目指した国体のあり方は、天皇自身を不可侵絶対の「現人神」に祭り上げることでした。こうした考え方のもとでは…
確かに、当時の政治家や文化人の談話などをみていても、明治天皇の崩御が「一時代の終焉」を印象づけたことは確かです。国体を強力に構築し、富国強兵を進めて世界に冠たる国家を建設してゆこうというモチベーション、時代・社会の雰囲気は緩和し、それが政…
すなわち、国体にしても皇国史観にしても、もともとはヤマト王権の「民族」主義的な神話に端を発しているので、せいぜい日本列島における大王=天皇支配の正当性を語るものでしかない。しかし帝国主義のものと他国の領土を侵犯し始めたとき、それを「侵略」…
史学史的にいえば、原勝郎の『日本中世史』に至るまでの時代における中世の位置づけ、ということですね。これは西洋史における中世の位置づけに多分に影響されているのですが、奈良・平安を古典古代と位置づけ、その王朝文化に正統的な価値付けを与えたとき…
小路田泰直説でしょうか。確かに戦後の津田は、中国を蔑視しつつ、天皇制擁護・反アジア主義・反マルクス主義の立場をとっていますので、転向者であるとか、あるいは一貫したナショナリストであったとも位置づけられています。しかし問題は、彼が方法・思想…
ヨーロッパでのジャポニズム、日本研究は本格的に始まりつつありましたが、やはりマイナーな文化であったことは確かで、丸山の言動には大きな誇張があると考えられます。世界の一般的な評価というより、近代日本人としての自負と理解した方がいいでしょう。
上で述べましたように、神道には教義がありませんので、正確にはイエスに相当する立場の人間はいません。創唱者も存在しないわけです。しかし、神の言葉を語る人、という意味では、各地の神社やその周辺に、シャーマン的な役割を果たしていた人々がいました…
以前に論文に書いたことがありますので、詳しくはそちらを探してみてください。簡単に述べますと、『古事記』や『日本書紀』のなかには、4〜5世紀頃に紀水門がヤマト王権の外港だった頃、他界として設定されていた紀伊国のイメージと、6世紀以降に難波が…
当時は、突出した能力を持ちながら非業の死を遂げた人々を神として崇めたり、あるいは特別な能力を持った人々を生き神として信仰する文化も存在しましたので、国家によって不可侵の存在として喧伝された天皇を「神」と認識することも、必ずしも不自然ではな…
本物/偽物という価値付けが適切かどうかは分かりませんが、講義で縷々述べたとおり、これまでの神道の文脈を大いに逸脱し、ある意味ではその伝統を破壊しながら成立したイデオロギーであったことは確かです。神道家のなかには、未だに国家神道的思想を奉じ…
神祇信仰は、各地域によって特色ある自然信仰、氏族の祖先信仰、外国から輸入され定着した新しい神々などが、雑多に共生しながら崇拝されている信仰形態でした。古代国家としては、それらの崇拝の形式、祭祀の形式を統一しようとしましたが、現実には大きな…
冒頭にお話ししたように、国民国家はその運営のため、国民を結集させる何らかの物語を必要とします。その典型的なものが歴史で、いわゆるナショナル・ヒストリーということになります(アメリカのように現実に歴史の浅い国では、建国の理想・精神などがそう…
宗教とは、まず第一に己がいかに救済されるかによって選択され、その救済を通じて社会へ貢献しようとするものでなくてはなりません。後者は救済された自己による報恩の貢献であって、自己の主張の押しつけであってはならない。自分自身がそうであったように…
歴史学者としては、「歴史は繰り返す」とは考えません。歴史は過去そのものとは異なりますし、第二次世界大戦以前と現在の世界情勢にも大きな相違があるからです。ただし、国家が国民に対して及ぼす権力を強化しようとしていることや、しかしその方法が極め…
もちろん、社会は大混乱に陥っていました。自由民権運動の展開と国会開設へ至る時代的流れと、この祭神論争の終結までの経過がほぼ時期的に重なっているのは、両者が無関係ではなかったことを意味しています。しかし、議論の中心にあった千家尊福は、大日本…
まず、「本当の神話」などあるのか、ということを考えておかねばなりません。2回目くらいにもお話ししましたが、『古事記』や『日本書紀』自体、内廷や国家の目的のために政治的に編纂した書物であって、古代社会にはより多様な神話世界が、それぞれの地域…
天皇家は神道の最高司祭ですから、天皇家にとって、アマテラス以外の神がどうでもよいわけではありません。あくまで祖先神であることから、丁重に奉祀しているだけです。ただし、例えば古代においては、伊勢神宮とその他の神社の格差は歴然としていました。…
アニミズムに近い形態に留まり体系化された思想・世界観・教義などを持たなかった神祇信仰は、中世以降、仏教や儒教の影響を受け、その教説や枠組みを借りながら次第に宗教としての体裁を整えてゆく。これが、「神道」と呼ばれるものです。仏教が釈迦の教え…
平田派は、これまでも述べてきたように幽冥界の議論に基づいています。天皇が支配する現実世界に対して、使者の赴く神霊の世界=幽冥界はオホクニヌシが統治する。それは、オホクニヌシが国つ神の代表として大地の正統な支配者であり、また冥府の統括者スサ…
日本の現代人にとってもっと身近なのは、やはり仏教の形態でしょう。仏教も、ゴーダマ・シッダルダの説いた教えを基盤にしつつ、本当にたくさんの宗派へ枝分かれしてゆきます。分派のもとになっているのは、どの経典を自らが救済される方法と採るかであって…
平田国学の主張は、とにかく幽冥界の問題と密接に結びついています。造化三神は世界を生成するエネルギーであり、アマテラスは高天の原を統括する存在だけれども、地上と密接に関わる幽冥界の支配者はオホクニヌシである。大地のうえに生きる人間は、まずこ…
『古事記』にははっきり女神であることを明記してはいませんが、スサノヲが高天の原に上ってきたのを男装の軍人の姿で迎える(すなわち男装をする前は女性の姿であった)など、女性であることを類推させる場面はあります。『日本書紀』には、オホヒルメムチ…
『古事記』には、オホクニヌシにまつわる一大叙事詩が収録されていますが、彼が幾つもの名前をもって記されているエピソード群は、もともと異なる神々の物語であったものを、ひとつに統合したのではないかと考えられています。また、核となるオホナムヂ→オホ…
神々の言動に何らかに歴史的事実が反映されている可能性はありますが、それらはあくまで神話であって、実際にあったこととは考えられていません。多くは王族や氏族の来歴、他に比した優越性を喧伝する始祖伝承であったり、物事の起源を説明するために創られ…
歴史上、日本列島が外来民族によって占領・支配されるに至ったことは、第二次世界大戦の敗戦によるアメリカ軍の占領しか確認されていません。そもそも日本列島に暮らす人々自体、長い年月をかけて南方や北方から流入してきた人々の、交渉・融合によって成り…
主観を排した完全な歴史を作ることは不可能です。というより、最初のガイダンスでお話ししたように、「歴史」は「過去そのもの」ではありえないのですから、そもそも完全な形など理念的にもありえないのです。過去を対象にある主観から編成・構築されたもの…