2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

集落では、何世代か定住すると近親婚になってしまうと思いますが、それは忌避されなかったのでしょうか。

もちろん、婚姻は集落内で済ませる形式にはなっていなかったでしょう。講義のなかで縄文文化の村と弥生文化の村との婚姻について指摘したとおり、ある程度の地域的まとまりのなかで、幾つかの集団による通婚圏が構築されていたと考えられます。部族社会にお…

ギルガメシュ神話では、蛇が不老不死を奪う存在として登場しますが、『古事記』では、ニニギが磐長姫を帰してしまったことが原因とされます。石というものに、古代の日本人は不死の意味を投影していたのでしょうか?

そうした心性は間違いなくあったようです。例えば、天皇の住む宮殿を祝福する「宮讃め」の表現のなかには、「底つ磐根に宮柱太知り立て」といった常套句が必ず出てきます。地下の岩盤に堅固に柱を打ち立てて、といった意味です。また、宮讃めが御代讃めに転…

法医学の授業で、死体の色の変化が恐れられてオニになったという仮説を耳にしました。実際に学説として存在するのですか?

それは少し難しいですね。「鬼」字はそもそも死体を表し、やがて死霊を意味するようになりますので、オニと死体を結びつけることには一理あるのですが、古代の絵巻物などにみえる初期のオニは、とくに赤色や青色をしているわけではありません。また日本には…

死と再生に関して、死んだ子供の足の型を取った粘土のようなものをみた記憶があります。あれも、再生を願う気持ちが表れているんでしょうか?

足形付土板は出土例が少ないため、未だ充分な定説がありません。確かに初期には副葬品として墓から出てくるものもあったため、再生を祈るものと考えられなくもありませんが、その後墓以外からの出土も確認されているため、あえて死と結びつける必要はないか…

屈葬が再生を祈願したものとすると、縄文人は、胎児が母体内で丸くなっていることを知っていたんでしょうか? / 高校のとき、屈葬された遺体には石を抱いたものがあると聞きました。私は死者が動き出すのを防ぐ重しかと思いましたが、再生を願うとするとどんな意味があるのでしょうか?

当時の出産は病院など「目に見えないところ」で行われたわけではないので、縄文人は胎児の情況を熟知していたと思われます。ときには、充分に形をなしていない状態で生まれてくる胎児を目にすることもあったでしょう。授業でお話ししたように、屈葬を「縄文…

死と再生をテーマとする神話は、アジアに特有のものですか。

世界的に確認できるものです。例えば、日本の「再生」神話の典型である黄泉国神話は、列島を生んだ兄妹の兄イザナキが、火神を生んだ火傷がもとで亡くなった妹イザナミを蘇生させるため、死者の国へ降っていって失敗するという物語ですが、大略はギリシアの…

ハイヌヴェレ神話と類似の神話が『古事記』や『日本書紀』にあるとのことですが、それはインドネシアから伝わったものと考えてよいのでしょうか。

インドネシアに限定しうるかどうかはともかく、東南アジア周辺に起源する、初期栽培農耕文化の伝来に伴って将来されたものと考えられています。他にも『古事記』などには、有名な因幡の素兎と鰐の神話など、南方起源と推定されてるものが複数あります。日本…

仮説として提示された土偶祭式について、実際に類似の祭儀や呪術は歴史的、あるいは民族学的に確認できるのでしょうか。

〈殺された女神〉自体がそうですが、やはり一種の供犠の形式を採るものでしょう。供犠は読んで字のごとく、神霊に対し犠牲を捧げ、その破壊を以て神霊の活性化、あるいは秩序の樹立などを図る祭祀の形式です。ユダヤの過越の祭、それを踏まえたキリストの磔…

土偶は概ね故意に壊されたとのことですが、〈殺された女神〉に基づく解釈以外に、これを説明できる仮説は提示されているのですか? / 土偶が破壊されるのは、例えば怪我を負った人物が治療したい部位を壊して身代わりにする、と聞いたことがあります。本当でしょうか。

〈殺された女神〉に基づく土偶祭式以外には、指摘のとおり、生命力が衰えている人間の「よくない部分」を土偶に移し替え、それを破壊するという見方も提示されています。いわゆるヒトカタの方法で、7〜8世紀あたりになると、文献でも説明できる形で頻繁に…

草創期からだんだんと写実的になっていった土偶が、晩期に再び抽象的な形になるのはなぜでしょうか。

晩期に向けての抽象化は、単なる技術的な未熟ではなく、「写実的に描写しないことに意味がある」段階に入ったものと考えられます。世界の宗教には、偶像を拒否するもの、神霊を具体的な形で描写することを拒否するものが多くあります。一度写実性と過度な装…

たくさんの土偶が出てきましたが、これは余りある時間のなかで行ったものですか。それとも、土偶造り自体が祈りのひとつだったのでしょうか。

確かに、宗教活動や芸術活動は、余暇の存在が前提になって発生します。縄文時代の場合、定住によって余暇の増えたことがそもそもの原因であり、同時に、移動しないことによって生じる種々のデメリット(定住地域に生じた災害、共同体内部や相互の軋轢、変化…

亀卜や風水を行うとき、生きた亀を殺して用いるのでしょうか、それとも死んだ亀の甲羅を探してくるのですか。生きた亀を用いる場合、その肉はどうしたのでしょうか。

亀甲にしても牛や鹿の肩胛骨にしても、屠殺してすぐの状態では脂質その他の層に覆われているため、焼灼に適しません。殷代においては、周辺の従属地域から卜府ともいうべき官衙に納められた甲骨を、一定の期間保管して卜占用に整形し、使用したことが判明し…

中国では石器時代から卜占があったようですが、日本ではいつ頃から開始されるのでしょうか。

占いとはっきり分かるのは、やはり、主に鹿の肩胛骨を用いた骨卜でしょう。開始されるのは、弥生時代の前期中葉です。東アジアにおいては、中国の中原地域が亀甲を主流に用いるようになっても、山東半島では鹿骨を使用していたようで、朝鮮半島や日本列島は…

赤色が太陽の象徴であるとの話がありましたが、黄色も太陽の色として自然です。また、太陽を赤と認識する地域は少ないとも聞いたことがあります。なぜ両者が結びつくのでしょうか。

確かに、時代・地域・文化によって差異がありますね。赤色が生命の象徴と位置づけられ、辟邪の効力を持つと考えられるようになるのは、太陽以前に血潮の色であるからでしょう。しかし例えば古墳中期の装飾古墳壁画には、昼と夜を対比的に描いたもののなかに…

動物を信仰の対象とすることについて、ネズミも繁殖能力が高いので十二支で1番になっているのかな、と思いました。しかし、そうするとイノシシは最後になり矛盾が生じます。十二支は動物の信仰とは関係ないのですか?

十二支という概念自体は殷帝国より確認できますが、これに動物を当てはめたのは、後漢の王充撰『論衡』物勢篇が初見のようです。すでに王充はその矛盾を批判していますので、周王朝の時代から存在した慣行といえるでしょうが、個々の動物の配置は再生能力云…

兔の表象が面白かったのですが、再生のシンボルが淫乱の象徴のようになってしまうのはどうしてでしょうか。日本では、海外の思想が伝わってきたためですか。 / 性器崇拝と聞くと、何ともいえない気恥ずかしさや後ろめたさを感じます。性的なものがタブーになっていったのは、いつ頃のことでしょうか。

性的な倫理観の厳格化による場合が多いでしょうね。日本はその点、もともと極めて大らかでしたが、近代化の過程で(少なくとも建前的には)禁忌視が進んだようです。また、家父長制的な思想や仏教が、男性の視点から女性の生活をコントロールするため、例え…

動物の主神話についてですが、一神教の地域においては、ある特定の動物を多く殺すことに対して、どのように罪悪感を解消していたのでしょうか。

完全な一神教というものは、ユダヤ教やキリスト教も含めて存在するとはいえないのですが、概ね最高神の意志へ仮託されてしまう場合が多いですね。その関係性を神が定めたとか、神の命令によるといった類です。『旧約聖書』創世記でも、神の似姿を持つ人間が…

動物への祭祀に関心を持った。西洋にヘビと婚姻する話があったと思うのですが、それはどういう意味を持つのでしょうか。また、日本にも同様の話はありますか。

はい、日本にも蛇との婚姻譚は古くからあります。奈良県に大神神社という、列島最古の部類に入る神社がありますが、その縁起伝承が蛇との婚姻譚です。例えば、『日本書紀』崇神天皇十年九月条に載るものでは、三輪の大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命が…

余談ですが、2年前送り火の提灯を川に流してしまいました。この場合、ちゃんとあの世に帰れるんでしょうか。

送り火のなかには、川に流す類のものもあります。日本では、長崎の精霊流しが有名ですが、同じような儀式は中国にもありますね。もともと、川は遡って行くと神々や仙人の世界へ、下って行くと死者の世界へ辿り着くという考え方が、アジアのさまざまな説話や…

日本では、確かに「死」がタブーのようになっていると感じます。世間、メディアなどでも、死を扱う際には、どこか一定の気遣いをしているようです。日本人だけが死に対してここまでタブー視しているのか、欧米などとは死に対する意識が異なるのでしょうか。

確かに、今回の東日本大震災においても、例えば欧米と日本の「死に対する扱い」の違いは、明確になったように思われます。例えば報道ですが、日本のテレビなどでは、津波が押し寄せる様子や被害情況を克明に放送していましたが、人々が流されてゆく様子やご…

境界について質問があります。柳田・水野・佐々木のどの話も時間は夜ですが、境界ということで、夕方が死者と出会う時間にされることはありますか。逢魔が時とはいいますが…。境界の時間と死者はどうなのでしょうか。

夕方の時分は「黄昏」と書いて「たそがれ」と読みますが、これは「誰そ彼」の意味、すなわち「あれは誰だ」ということです。薄暗くなり、ものの具体性、輪郭が曖昧になって、知っている人でも見分けがつきにくい。さまざまなものの境界が曖昧になるというこ…

『遠野物語』99話では、妻が姿を消す場所が「山」となっています。授業では海を死者の世界、陸を生者の世界とするお話がありましたが、ならば妻が陸地である「山」で姿を消すのは、何か意味があるのでしょうか。

山は、古来から死者の帰る空間とされた地域です。日本列島は地域によって相互にずいぶん異なる、変化のある地形をしていますが、概ね神や死者の住む他界というものは、人々の暮らす日常的空間の外側、通常はその奥地まで足を踏み入れることのない場所に設定…

陸と海の境目が境界になるというので、「橋の上で出会ったものは人間でない」といった、昔話のルール的なものを想い出しました。これも、橋の上が他界との境界であるということでしょうか。でも、橋の上って、どことどこの境目になるのでしょうか。

やはり、橋も代表的な境界のひとつです。まず橋は、川や湖沼などで遮られたあちら側/こちら側を繋ぐもので、文字どおりの境界を意味します。仏教ではこちら側を此岸、あちら側を彼岸と表現しますが、それはそれぞれ俗世、浄土の暗示ともなっています。7世…

境界の話が興味あるものだった。プリントにはアジアの伝統的他界観とありましたが、なぜそのような見方はアジアに限定されるのでしょう。

少し誤解があるかもしれません。「アジアの伝統的…」と述べたのは、アジア特有という意味ではなく、アジアにおける一般的な境界観に矛盾しないということです。『遠野物語』99話は、アジア各地の説話や伝承に共通する要素を多く持っている、といえます。

〈物語り〉の負の面の復原は可能なのでしょうか。

例えば、フロイトの見出したエディプス・コンプレックスなどは、物語りの負の面を表現した言説といえるでしょう。個人の成長過程において、異性の親から愛されたい/その親を独占したいという気持ちと、同性の親に感じる畏怖・嫉妬/同性の親を殺害したいと…

先祖供養などで親族が集まることがありますが、そのような場は〈物語り〉のための大切な場所と理解してよいのでしょうか。

法会・法要などの場は、古代から物語を生産する場所として重要でした。日本最古の仏教説話集である『日本霊異記』には、そうした場でなされたらしい、故人顕彰の要素を含む経典の例証話が多く収録されています。現在でも、法事のあとの会食の場で、故人をめ…

『遠野物語』99話を読んで、儒教や東アジア化した大乗仏教のなかで、先祖を語る/供養する、あるいは死者と和解するということが、どう展開されていたのか気になった。とくに、そうした東アジアの諸宗教のなかで、災害のこと、災害における死者の問題は、いったいどのように表象されていたのだろうか。

東アジアにおいては、災害による死者を含む「非業の死者」をいかに扱うかが、長年にわたる課題のひとつでした。そもそも儒教の祖先祭祀においては、非業の死者は自族の宗廟においては祀らない決まりでしたが、そのことによって一定の祟りなす霊を生み出して…

少し話題がそれますが、「心理」とは「死」とは何でしょうか。

どうでしょうねえ。ぼくは構築主義者ですので、言葉に本質的な意味はなく、その都度の情況に応じて社会的に構築されるものだと考えています。「心理」は学術用語(翻訳語)ですので、やはり心理学の定義に従うべきでしょう。「死」とは、日常レベル、自然科…

今回の『遠野物語』を検証・解説するにあたって、様々な書物にあたっていらっしゃいましたが、先生は、予め書きたい内容を想定し、それから関わりのある書物を読むのですか? 先に幾らかの書物を読んで、それから書く内容をまとめるのですか?

両方ですねえ。20年余りも研究を続けていますと、自分のなかに様々な蓄積もありますので、テーマに沿ってある程度の仮説は立てられますし、どんな本を読めばいいかも分かります。しかし、改めて調査を進め、史料や研究文献を読んでいるうちに、その仮説が覆…

自然の変容によって集落が離散するような厳しい環境のなかで、なぜ火焰土器のような装飾性に富んだものが生まれたのですか。

火焰土器の「火焰」は、生命エネルギーの漲った状態を表現しているものとみられます。講義でも扱いましたが、縄文人は、土器に自らの依存する自然環境の象徴や、ある意味での神話のようなものをレリーフ、紋様などで表現したようです。すると、「火焰」はあ…