ジャパノロジー概論(17春)

観音の千手が鎌首をもたげているようにみえるというのは、どうもピンときませんでした。根拠に乏しい気がしました。

そうですか……いや、講義でもお話ししましたが、観音が龍蛇と信仰を共有することは、日本においてはむしろ一般的なんですよ。観音はその所依経典である『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品、その抽出である『観音経』にさまざまな霊験・功徳が書かれていますが、…

耳谷、女場、角部内など、蛇神伝承の地が津波浸水域に重なっていることに驚いた。もしそうなら、他の場所でも、これから起きるかもしれない災害を予測しうるのではないか?

いや、もちろんそうです。例えば数年前、広島で大規模な水害がありましたが、同八木地区の被害地域には「蛇落地悪谷」との特徴的地名が残っていました。長野でも鉄砲水のことを「蛇抜(蛇が通り抜ける)」といいますが、水害を蛇の物語として表象する例は多…

震災後、半壊のまま放置された寺社などをみて、それが地域の信仰心や精神状態に何らかの影響を及ぼすのか、及ぼすとしたらどんな影響を及ぼすのかと、疑問がわきました。

現在は、帰宅困難区域の指定が解除されて間もなく、またやはり「安全な状態」とはいいがたいので、地域の歴史・文化、信仰を、充分に取り戻してゆく心的余裕がないのだといえるでしょう。しかしより北側の地域では、津波被害に遭った多くの神社が復興され、…

神を苦しみの身と捉える「神身離脱」には驚きました。この神様イメージでは、神様がどのような存在であるのか気になりました。

中国では、仏教が伝来して普及に努めようとするとき、在来の神々をどのように扱うかが問題となりました。それまでは、ジャータカ(在来の神話・伝承を釈迦の前生譚として組み込む仕組み)やパンテオン(仏教的世界観のなかに在来の神々を組み込む仕組み)が…

盲目の僧や琵琶法師は前から知っていたが、なぜ彼らがこのような伝承を伝える存在であるのか、疑問であった。

前近代は、現在のように医学が「発達」しておらず、社会の仕組みも異なっていましたので、身体に障がいを持って生まれてくる人、後天的に障がいを背負うことになる人が多くありました。村落で生業労働を営むことのできない盲目の人々も少なくありませんでし…

蛇は西洋でもあまりよいイメージを持たれていないと思うのですが、それは神話や聖書が原因だと考えました。ただ、なぜそこで蛇が悪側に位置づけられてしまうのか、疑問に思いました。

上で述べたことと関わりがありますが、簡単にいうと、ユダヤ教やキリスト教と競合する有力な信仰だったからです。それえゆに目の敵にし、異端や異教、悪魔の枠組みを与え、必要以上に貶めてゆくわけです。熊や狼も同じですね。

アダムとイヴの楽園追放において、イヴが蛇にそそのかされることが原因となります。これは昔から女性差別があり、女性が蛇と結びつけられていたことを意味しているのではないでしょうか。

『創世記』の原型は、世界における現存最古の神話「ギルガメシュ叙事詩」に登場します。主人公のギルガメシュが、冥界を訪れ試練を乗り越えて得た「不死の草」を、蛇が奪い取ってしまうというエピソードです。それによって蛇は不死の力を手に入れ、人間は死…

蛇神は、なぜ他の動物に比して特別な位置を与えられているのだろうか。また、祀られることで、悪者だった蛇神がプラスの意味付けを持つようになるのはなぜか。

蛇が広汎に信仰されていたことは確かですが、それはやはり、人間の文化が水と切っても切れない関係にあるからでしょう。ですから、砂漠や草原などの乾燥地帯では、そもそも蛇があまり棲息していませんので、強い信仰はみられません。寒冷な地域でもそうです…

稲の大東亜共栄圏に関するお話がありましたが、寒冷な気候に耐えうる米を朝鮮半島に伝えることは、同地の食糧事情にポジティヴな影響は与えなかったのでしょうか?

確かに、現在韓国などで生産されている米は、ほとんど陸羽132号から生み出されたものです。その意味では、韓国の食糧生産と食文化に大きな影響を与えたといえるでしょう。見方によっては、それはプラスに作用したといえなくもありません。しかしそうした「評…

自国文化を「特別」と思う姿勢に問題があるのは分かるのですが、「特殊」と考えるのも問題なのでしょうか。「特別」と「特殊」とは、異なる概念だと思うのですが…。また、日本人のアイデンティティは、どうあるべきなのでしょうか。

「特別」と「特殊」の差、難しいですね。前者優越感を伴い、後者は差違だけを強調する、ということでしょうか。しかしこれらをいうときに前提になっているのは、「他の文化にはない」という認識です。それゆえに、「特別」「特殊」といえるわけですが、さて…

フィールドワークが哲学においても重要な意味を持つのは真理だと思いました。北條先生は南相馬市にフィールドワークした際、宮本常一のように、その土地に住む人々に話しかけ、コミュニケーションをとったりしたのでしょうか?

南相馬については、いわゆる聞き取り調査のような形のフィールドワークは進めていません。幾つかの地域では、情報を聞き取ることを主体に置いた調査をしていますが(海外においても)、南相馬はいまのところ、周囲の自然環境をじっくりと観察し、思考しなが…

フィールドの話で、フィールドという言葉には、人間が労働によって領域化する以前の、未分節の空間そのものの意味が含まれているとありました。そもそも人間は、何らかの労働をしていたのではありませんか?この場合のフィールドは、人間が地球に誕生する前のことを指しているのですか?

個々の人間の、認識の世界の話をしているのです。基本的に生命体は、周囲の空間を五感と身体によって意味付け、自分にとって生存しやすい世界を創出して生きています。これを、生態学的認識論では、〈環世界〉といっています。感覚器官やその性能が異なるそ…

民俗学の大変さを知りました。折口は文学の起源を探究したとのことですが、その起源が漂泊の巫女だったという解釈であっていますか?

そうですね。詳しくは、『古代研究』『国文学の発生』などを参照してください。現在、文学というとほぼ「書かれたもの」を指しますが、前近代においては、とくに時代を遡るほど、文字に依存しない物語りがその大半を占めていました。アジアでは、労働や儀式…

ジャポニズムを学習する際にひときわ存在感を放つ浮世絵の、モチーフとして描かれている江戸中の風景は、外国人にとってはまったく馴染みのなかったものだろう。一体何が彼らを惹き付けたのだろうか?

まさに馴染みのないこと自体が、大きな魅力となったのでしょう。好奇心に満ちた人間は、未知なるものに強く惹き付けられるものです。帝国主義のもとにヨーロッパ諸国が植民地を拡大していった段階では、文明の一定の爛熟期を迎え、文学・芸術の分野で閉塞感…

ヨーロッパ以外でも自国、自文化中心主義があったが、それを持つようになった契機はなんだったのだろうか。また、そうした視点からの脱却がどのように起こっていったのかも疑問に思った。

自国、自文化、自民族至上主義、中心主義は、根強く世界に作用しています。いま現在においても、多くの国々、民族が、その軛から逃れられてはいません。日本もそのひとつです。その原因の一端は、個人や集団が自らを防衛するために行う自己同一化、何らかの…

国学が〈原日本〉を求めたとありましたが、そもそもどの文化も、隣接する地域のそれに影響を受けて形成されるものでしょう。世界中どこを探しても、まったく「純粋」な文化など存在しないと思いますが、それにあえてこだわり「脱亜」を進めたのは、それだけ日本を発展させたかったからでしょうか。

文化については、仰るとおりですね。民族などもそうです。純粋なものなど、どこにも存在しない。何かに恣意的な価値付けをしたいとき、卓越した位置を設定したいときに、そうした「ありもしない」原理主義、ピュアリズムが働くのです。生態系における生物多…

文明は男性、野生は女性のイメージとして、ヨーロッパや中国では考えられてきたとありましたが、現代日本の男女間のイメージは、逆なのではないかと考えました。

「男は狼なのよ」なんて歌が、昔ありましたね。しかし現在でもやはり、人間の認識の根底的なところで、文明・文化を代表するのは男性であり、女性はそれに対して自然に属する存在、との位置づけは濃厚に残存しています。例えば、テレビの情報番組やバラエテ…