2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧
菅原道真の場合は、前後の情況から考えると、より精神的なものが大きかったかもしれません。いわゆる怨霊信仰、御霊信仰は、長岡遷都と藤原種継暗殺に関わる早良親王の自害によって、宮廷社会で急激に発達します。その「緊張感」は、奈良時代の比ではなかっ…
これからの授業で扱いますので、少し先走って書いてしまうことになりますが、実は南北朝末期の中国では、疫病をもたらす鬼霊は非業の死を遂げたものの霊だとみなされていたのです。すなわち、六朝の文献を読んで中国化を進めていた支配層ほど、天然痘と鬼霊…
当時の藤原氏のメンバーからすると、光明子の意向は大きいのではないかと思います。情況証拠だけで臆説を積み重ねてゆくと単なる陰謀説になってしまいますが、しかし、すでに藤原仲麻呂も出身しており32歳になっていますので、彼が実際に指揮を執った可能性…
やはり、武智麻呂が首班的な位置を占めていたためと思われます。長屋王体制の後期には、彼の文学・政治サロンである作宝楼に対して、武智麻呂は習宜別業を持ち、多くの文人や官吏たちをそのもとに結集していました。四子のなかでも、武智麻呂が長屋王のライ…
未だ仏教文化が充分に浸透し大衆化していませんので、日常生活レベルで目的の細分化した経典が使用されるには至っていません。しかし、いわゆる念持仏の類は存在したようですので、陀羅尼等の簡単な経典を読誦していたことはあったでしょう。また、富裕な貴…
すべての僧侶が、というわけではありませんが、当時総合科学であった仏教の知識のなかに、医術のそれがあったことは確かです。例えば、中国から渡って戒律を伝えた鑑真は、脚気治療の処方を持っていたことが、『医心方』から分かっています。
もちろん、 アジアで龍蛇が神として広く信仰された、ということが理由のひとつです。しかし、これから順々に述べてゆきますが、病治療に蛇などが用いられたのは、医術などが誕生してゆくレベルでもっと直接的な原因があるのです。
前近代社会においては、現代より呪術的価値観が広く浸透していたと思われますが、もちろん、それを疑う人もいたでしょう。奈良時代随一の知識人である吉備真備は、その家訓『私教類聚』に、中国の『顔氏家訓』を引用しながら、卜占や呪術をあまり信用しては…
そうですね。一番気になるのは、61番、外従五位下の「某姓ム甲」でしょう。これは発掘によるものではなく、『唐招提寺文書』に残っている「家屋資財請返解案」によるもの。ム甲の父親は国司を務めた裕福な人物だったらしく、左京七条一坊に1区画、右京七条…
なかなか当時の王族で比較対照になる史料がない(一般氏族出身で皇后になった人がいない)ので分かりませんが、確かに後宮へ出仕するという時点で、家や氏族を背負って王権へ奉仕する認識であることは確かですね。「光明子」という名前は『金光明最勝王経』…
馬王堆漢墓のことですね。前漢初期の長沙国丞相・利蒼の妻の辛追が、ミイラとなって発見されました。残念ながら、日本の古墳では未だこのような事例はみつかっていません(あとは即身仏でしょうか)。しかし、『宇治拾遺物語』巻6-2「世尊寺に死人を掘り出す…
少なくとも、5世紀後半〜6世紀にかけての頃には、明確な区別が始まります。すなわち、古墳と自然神への祭祀の方法が明確に分けられるのです。それまで古墳祭祀にも使用されていた、鏡・刀剣・玉の3点セットが滑石を用いた模造品に整備され、それらを中心…
難しい問題です。アニミズム世界においては、神霊が死体に宿るという考え方と、そこから脱して神霊の国へ帰るという見方があり、どちらが日本で一般的だったのかは分かりません。中国では、死体から立ち上る水蒸気を魂と考えたようで、死体を表す「鬼」に気…
どちらかというと、仏教の伝来と定着は神祇信仰との間に齟齬を生じました。仏教と神祇信仰が「習合」するためには、中国で開発された「神身離脱」「護法善神」といった論理が必要で、それまでの間は別々のものとして祭祀するしかなかったようです。例えば、…
授業でもお話ししましたが、『古事記』や『日本書紀』の応神・仁徳に治水記事が集中しているのは、彼らが実際に治水工事を行ったのではなく、彼らを聖帝と位置づけるための史書の作為に過ぎません。ただし、前方後円墳の築造が示すように、古墳時代のヤマト…
古墳時代の人口は、その遺跡数と後世との比較などから、開始期〜終了期までの間に、60万人ほどから400万人ほどにまで増加したとみられています。なお、授業でもお話ししましたが、箸墓の造営に動員された人の数は「のべ人数」ですので、注意してください。
一派庶民は天皇の存在を忘却していた時期もありましたが、支配者層の文化においては曲がりなりにも天皇制は維持されていましたので、いわゆる陵墓が破壊されることはありませんでした。古代においては、山陵を守衛する諸陵寮という官司が存在し、実際に警衛…
残念ながらそうではありません。自然科学の知識・技術、高価な道具・器械を必要としますので、自然科学寄りの考古学者、古気候学者、地理学者などの仕事になります。文献史研究者は、その提示を受けて文献記録との間を照合し、場合によっては批判を試みなが…
文字の問題は大きいのですが、それがないと王権や国家が維持されないかというと、必ずしもそうではありません。インカなど、文字を持たずに神話・歴史を伝承し、長期に続いた文明は存在します。古墳時代も、漢字を使用していたのは、支配層のなかでも極めて…
陰陽五行説においては、陰は必ずしも「よくないもの」ではありません。調和した状態がよいのであって、例えば陽気があまりに強くなり陰気が衰えれば、やはり旱魃などが起こりよくない事態となります。桃は、陰陽五行説が成立する中国の戦国時代から、辟邪の…
やはり、皇帝を自称すれば、利益よりリスクの方が大きかったからでしょうね。お話ししたとおり、燕は魏/呉の間で二枚舌外交を展開していたわけですが、「皇帝」を名乗れば、両者を一度に敵に回す可能性が高かった。それゆえに、どちらかの皇帝に服従し立場…
確かに、海を越えての派遣ということは、躊躇されたでしょう。国力の有無はともかく、重要な交渉相手だけれども、実際に軍を派遣するかどうかは別の問題…という政治判断はあったはずです。何しろ、中国の軍隊が日本海を渡るというのは未曾有のことですから。…
邪馬台国が中国の情況を知りえたのは、やはり渡来人を通じてでしょう。彼らを介して公孫淵と交渉していれば、恐らくはかなり歪曲した情報でしょうが、三国の動きも掴めていたはずです。また、東シナ海においては、もちろん航海技術による抑制はあったものの…
方角や距離の概念は、動物でも持っています。ただし、自分の目前にないモノとモノとの距離、その方角を想像するような思考は、人間のみができるものです。これはクロマニヨン人、すなわちホモ・サピエンス・サピエンスの進化に至って、大脳新皮質の爆発的増…
ヤマタイ国が自ら表記したのではなく、中国が中華思想に基づいて行った表記だからです。いくら政治的に重視していたとはいえ、中国王朝からみれば辺境の朝貢国です。当時の列島の音韻、恐らくはヤマトかヤマタイを、悪字を用いて書き表したということです。
今後の科学的分析方法の進展によって、非破壊のままで多くの情報を得ることができるようになってゆくはずです。文化財の破壊はいちばんしてはならないことなので、遠くない未来を待ちたいものです。なお、贋作説に関心のあるひとは、古代文学者の三浦佑之さ…
いけない!授業でうっかり話すのを忘れていました。今回の発見の重要性は、菱環鈕式1つ、外縁付鈕式6つという、古いタイプの銅鐸であったことですね。とくに前者は、全国で11例しかみつかっていませんので、大きな発見です。また、中に舌が付いているもの…
あれはもともとの官符に付いていたらしい注ですね。文章に注を付ける行為は東アジアの伝統であり、東アジアの書物の歴史は、注釈の歴史といってもよいものです。古代の中国で成立した伝世文献で、注釈の存在しないものは皆無といってもいいでしょう。何が現…
まあ、それはやはり儒教的な建前ですね。物量に限度がある場合には、支配者層が優先されることになるのが現実です。
この餅については、少し考えてみる必要がありそうです。餅は消化によいことは確かなので、もち米をふかして乾燥させたものが、保存食として広く存在した可能性はあります。また、もともとの漢文には「煎餅」とあるので、この言葉にこだわるとすれば、これは…